「自由に発言できる」という存在価値
これを受けてツイッター日本法人は、2017年11月7日に、運用ルールに新項目を追加し、「自殺、自傷行為をほのめかす投稿を発見した場合は助長や扇動を禁じます」との文言を追加、さらに違反があればツイート(ツイッター上での投稿のこと)の削除やアカウント凍結の措置を取るとした。
政府も事件を受けて首相官邸で関係閣僚会議を開催し、ツイッターの規制なども議論されたというが、単なる規制では根本的な解決にならないことは誰もが理解するところだろう。
この事件はツイッターの生みの親でもあるツイッターCEOのジャック・ドーシーの心を大きく痛め、苦悩させた。事実、事件から間もなく、ジャック・ドーシーは来日、複数のメディアのインタビューに応じて、ツイッター社としての今後の対応についての説明に追われていた。
そして、そのインタビューの中で彼が再三強調していたのが、「Global Town Square」という言葉は使わなかったが、ツイッターとして自ら規定した「言語や文化などの障壁をなくして、思いついたアイデアや見つけた情報を一瞬にして共有する力をすべての人に提供すること」というミッション・ステートメントが意味するツイッターの存在価値についてであった。
すなわち、ツイッターの存在価値というのは、どのような人にでも、日常の想いや気持ちから政治的なスタンスまで、どんな弾圧にも屈することなく自由に発言できる機会を与えることであり、そのことを失うつもりはない、ということであった。
しかし一方で、ジャック・ドーシー自身も、自らがツイッターを開始した2006年当時には想像もできなかったほど、世の中もツイッター自身も変わってしまったと感じている。
ツイッターをジャック・ドーシーが着想した際に名付けていたプロダクトの名前は「STAT.US」というものであった。
そのプロダクト名は、プロダクト機能そのものを表現しており、ユーザーが現在のステータス(Status)を短文で同時に多人数と簡単にシェアするというもので、運営側はそのステータス情報統計を販売する(Stat=統計+US=米国ないし私たち)というアイデアであった(事実、ツイッターが現在の売上収益のほとんどを占める広告事業を本格的に開始したのは2011年のことであり、それまではツイッター上で投稿されたツイートのデータを企業に販売することを細々と行っているだけであった)。
出典:https://www.uistencils.com/blogs/news/top-5-paper-prototype-screens
今でもツイッターのツイートを書き込む欄に「今どうしている?(What’s happening?)」と書かれているのは、現在の状況をシェアするツールというジャック・ドーシーの構想の名残りである。そして、ジャック・ドーシーはいろいろな使われ方を想像したという。