マクロミルの成功が、リクルートを変えた

朝倉:一方で、リクルートは最近ではIndeedの買収など、ダイナミックな動きも見せています。福田さんは1975年からリクルートにいらっしゃいましたが、当時から見て、リクルートが変わったと感じる部分はあるのでしょうか?

福田:リクルートもまた、自分たちで事業を作っていく風土が強い会社でした。先程も言ったように、僕たちは会社の中で新しいものを作り出して、会社にあるお金と人とを使って自前で大きくしていくことに、大きなやりがいと喜びを感じていたのです。
しかし、僕の認識では、マクロミルができ上がった頃に大きな変化があったように思います。この頃から、違う価値観を持った人たちが増えてきたことでターニングポイントを迎えたのではないかと思います。
マクロミルが行っているような、市場調査やアンケート調査というのは、リクルートリサーチというところで当時はFAXなどで行っていました。インターネットが発達する中で、「ウェブで行う調査も行うべきではないか」という声がリクルート社内でも上がったのですが、結局やらなかったんです。
そこで、このアイデアをスピンアウトして作ったのがマクロミルです。このマクロミルが、リクルートにとって、少なくとも僕にとってはエポックメイキングな出来事でした。

朝倉:マクロミルの創業がエポックメイキングな出来事だったというのは意外です。リクルートというと、「30歳定年」と言われるほど若いうちに独立して事業をされる方がたくさんいらっしゃる気がするのですが。

福田:確かに人材関連の起業は多いです。斡旋事業をやったり、就職関連の広告代理店を立ち上げたり、リクルートの周辺で顕在化していたビジネスを始める人は、昔からいました。けれども、仕組みを変えて、ビジネスとしてうまくいくかはまだ分からない領域でスピンアウトして立ち上げたという点で、マクロミルはエポックメイキングだったかなと思います。
リンクアンドモチベーションも同様です。リクルートは古くから教育事業を手掛けてきたため、パッケージ化してビジネスサイズを大きくするというモデルに強い成功体験を持っていました。リンクアンドモチベーションのように、顧客にカスタマイズして展開していくモデルは効率が悪くて儲からないと思い、積極的には取り組まなかったのです。しかし、同社の創業メンバーの人たちは「リクルートではやらなくても、ニーズがあっておもしろい事業のはずだ」と外に出て、立ち上げたんです。

日本のスタートアップの落とし穴とリクルートの成長【福田峰夫さんに聞く Vol.1】

朝倉:つまり、2000年代の前半に、リクルートの社内や周辺の経済圏から外に出て事業を行うような人たちが出てきたということですね。

福田:リクルートは、新規事業を連続して立ち上げることで大きくなってきたので、新しいものを創るということを、昔から社員は共通の価値観として持っています。ただ、やり方が大きく変わってきたということです。おっしゃるとおり、2000年前半からどんどん成功事例が生まれてきて、なかには一部上場までいく企業も出てきました。

小林賢治(シニフィアン共同代表):今ではリクルート出身の経営者が世の中に多くいますよね。上場企業の経営者でも一番多い出身母体ではないでしょうか。

福田:多くなりましたね。ロールモデルができあがってくると、その後にリクルートに入ってくる人たちは、自然と「自分も起業しよう」という意識になるのでしょう。また、そうした意識が根付いてきたからこそ、2000年前後あたりから、外の事業を社内に取り込んで会社を大きくしようとする発想もまた、リクルートの中に出てきたんじゃないかと思います。

*次回に続きます。
*本記事は、株式公開後も精力的に発展を目指す“ポストIPO・スタートアップ”を応援するシニフィアンのオウンドメディア「Signifiant Style」で2018年2月2日に掲載された内容です。