発売たちまち3万部を突破した『転職の思考法』著者の北野唯我さんと、発売前からSNSを中心に大きな話題を呼んだ『ブランド人になれ!』(幻冬舎)著者であり、ZOZOのコミュニケーションデザイン室長を務める田端信太郎さん。奇しくも同時期に「サラリーマンの生き方」を説いた本を書いたおふたりが、全3回にわたってざっくばらんに語り合います。
中編となる今回のテーマは、「会社とは何か?」。5回の転職を経てさまざまな企業を見てきた田端さんの鋭い考察と、多くのビジネスパーソンを支援してきた北野さんが説く「転職のカードを手に入れるメリット」には、思わず行動したくなる説得力がありました(前編はこちら)。(構成:田中裕子/撮影:中里楓)
会社はあなたの「親」ではない
北野 近年のブラック企業問題、働き方改革などによって、いまあらためて「会社とは何なのか?」が問われています。「会社は学校じゃねえんだよ」というドラマも話題ですが、僕はどちらかというと「会社は“家族”じゃねえんだよ」のほうが今の世相を表している気がしています。どちらかというと日系企業は「会社の家族化」がキーワードかな、と僕は考えていて。田端さんはどう思われますか?
田端 会社は概念でしかないと思っています。家族ってわけじゃないですよね。
スタートトゥデイ コミュニケーションデザイン室長。1975年石川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。NTTデータを経てリクルートへ。フリーマガジン「R25」を立ち上げる。2005年、ライブドア入社、livedoorニュースを統括。2010年からコンデナスト・デジタルでVOGUE、GQ JAPAN、WIREDなどのWebサイトとデジタルマガジンの収益化を推進。2012年 NHN Japan(現LINE)執行役員に就任。その後、上級執行役員として法人ビジネスを担当し、18年2月末に同社を退職。3月から現職。
北野 でも、ZOZO……というか代表の前澤さんはそういう考え方では?
田端 ああ、それは「社長は父親のように優しく厳しくあれ」「上司は親が子の面倒を見るように部下を育てる」という、マネジメントサイドの意識上の話です。つまり、会社という共同体を「家」に見立てているのではなく、経営サイドが「社員は家族のようなもの」という意識でマネジメントしている。それは問題ないんです。怖いのは、ここで社員の側が「会社は親のようなもの」と考え、甘えの構造に陥ること。そこを間違えると大やけどします。
北野 たとえばリストラされたときに「信じてたのに!」と嘆いても仕方ない、ということですよね。
田端 そう。社員は大の大人ですから、新生児を道に放り出すのとはわけが違います。自分の意志で会社を選択したわけで、シベリアの強制労働とも違う。いざ会社が傾いて人員整理されたときに、「家族じゃなかったのか!」とすがるのは甘いでしょう。
北野 転職から目を背ける人ほど、概念にすがるという側面もあるでしょうね。会社という「親的な存在」は自分を守ってくれるものだ、と。
田端 それはナンセンスで、もともと会社とは「こういう概念があると協力しやすい」という考えから生まれたものです。だって、仕事が発生するたびに『オーシャンズ11』みたいにプロが集まって取り分を決めるの、面倒じゃないですか。強盗の実行前夜に取り分でもめて殺し合ったり(笑)。そうした争いを抑制するためにもワンフォーオールでやろう、結果的にそのほうが取り分も大きくなるし、と生まれたのが「会社」という概念です。
北野 なるほど、おもしろいですね。
田端 また、1991年にノーベル経済学賞を受賞したロナルド・コースは「取引には費用が発生し、そのコストを抑制するために組織は組成される」と言っています。その理屈でフリーランサーがマーケットから会社に取り込まれて組織ができていったわけですが、そういう成り立ちから考えても、「会社は家族ではない」と言えるでしょう。
北野 そうですね。田端さんの「会社は概念」という言葉を聞いて、以前読んだ『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ/河出書房新社)にも、ホモ・サピエンスがここまで発展したのは概念や虚像を生み出せたからだと書いてあったのを思い出しました。
田端 そうそう、会社や国家はすごい発明なんです。たとえばね、もし尖閣諸島を某国から爆撃されたら、日本人はめちゃめちゃ怒ると思うんですよ。でも、よく考えればあそこは無人島だし、人的被害は出ていない。一方でソウルが爆撃されたら? 住んでいる日本人の数で言えば圧倒的にソウルが多いのに、尖閣諸島を爆撃されたときのほうがダイレクトに「日本人として怒る」と思いませんか?
北野 ああー、そうかもしれません。
田端 これはつまり、尖閣諸島(=日本領土)への攻撃を、自分への攻撃に感じているということです。国というフィクションの産物を自分と一体化させるなんて、すごいことでしょう? 同じように、会社というフィクションにだまされてしまうのはある意味仕方がないと思います。ただ、「これは概念でしかないし、会社は自分ではない」と理解していることが大切で。エラくなるに従って会社と自分を一体化する人、いるじゃないですか。ああなっちゃあダメなんですよ。
北野 まさにそのとおりです。じつは、今回の本を出すにあたって「会社は自分ではない」という当たり前のことに気づいてほしい、という思いもあったんですよ。そこを混同すると、「思考」できなくなる。身動きが取れなくなってしまいますよね。
兵庫県出身。神戸大学経営学部卒。就職氷河期に博報堂へ入社し、経営企画局・経理財務局で勤務。その後、ボストンコンサルティンググループを経て、2016年ハイクラス層を対象にした人材ポータルサイトを運営するワンキャリアに参画、サイトの編集長としてコラム執筆や対談、企業現場の取材を行う。TV番組のほか、日本経済新聞、プレジデントなどのビジネス誌で「職業人生の設計」の専門家としてコメントを寄せる。
外資より日系企業のほうが、よっぽど上司に正論を吐ける
田端 『転職の思考法』は、転職に必要なのはスキルでも情報でもなく「判断軸」だと示しているのがいいですよね。これはほかの転職本と大きく違う点だな、と。
北野 ありがとうございます。僕は、すべての人が「いつでも転職できる」というカードを持つことが、日本の労働環境もよくすると確信しているんです。田端さんが前回おっしゃっていたように、雇用の流動化によって現場で働く人の立場が強くなるはずですから。
田端 以前話に出た、「プロサラリーマンのアスリート化」ですね。
北野 それに、いい転職を経た人は仕事の上でもバリューを発揮できます。たとえば僕はいま人材ポータルサイトを運営していますが、いままでの転職経験がとても役に立っているんです。博報堂という巨大組織にいたからこそ「大きな組織がどうやって動いているか」がわかる。あるいはBCGという外資系コンサルティングファームにいたからこそ、社内プロセス管理が理解できている。つまり、いい転職というは「自分の視点の数」を増やすものだと思うんですよ。田端さんもバリバリの日系企業から外資系企業、ベンチャー企業と渡り歩いていますが、転職したからこそ得られた知見や経験もあるのではないでしょうか?
田端 それはありますね。たとえば世間では日系企業の非効率さはやり玉に挙がるし、僕も挙げることもあるけれど(笑)、いいところも知っているんですよ。日系の大きい組織は、組合が強くて査定の差がつきにくいとか。
北野 えっ、それが「いいところ」ですか?
田端 査定で差がつきにくいということは、「直属の上司の裁量が少ない」ということです。つまり、若手がヤンチャできるし上司に言いたいことを言えるってことなんですよ。たとえ課長に嫌われても、「5000円の昇給が3000円になった」程度で済むわけです。
北野 はー、そうか。外資系の小さい組織だったら、下手するとクビになったりしますからね。
田端 はい。しかも日系企業のエラいおっちゃんは、「田端ってやつは元気がいいなあ、オレの若いころにそっくりだ」とか言ってくれる(笑)。案外、日系企業のほうが若者は正論を吐けると思いますよ。
北野 なるほど! それも、いろいろな会社でヤンチャしてきた田端さんだからこその気づきだろうなあ。
「イヤなら辞めればいい」。会社と対等であれ!
北野 現場で働く人の立場が強くなる。自分のキャリアも強くなる。これらに加えてもうひとつ、転職のカードを手にすることで得られるメリットがあります。それが、「仕事が楽しくなる」。
田端 うん、うん。わかります。
北野 本書にも盛り込んだエピソードですが、僕の知り合いに、仕事がまったくおもしろくないと毎日鬱々と出社していた人がいました。ところが、「もういいや」と思って退職届を内ポケットに入れて通勤電車に乗った日から、急に仕事を楽しめるようになった。
田端 「いつでも辞められる」と思うと、会社と対等な気持ちになれますからね。のびのび仕事ができるようになる。
北野 そうなんです。逆に、「自分にはここしかない」と思い込むと、上司や会社に物申せなくなってしまいます。どんどん窮屈になっていくし、「この会社がすべてだ」と考えるようになる。「すべて」である会社が道を間違ったときにもNOが言えなくなる。これは仕方ないことです。
田端 繰り返しになりますが、転職は法で与えられた権利です。「イヤなら辞める」が保証されているわけですから、「ここはダメだ」と思ったら動かないと。それにしても、この「ひとつの会社にい続けないと」という思い込みは洗脳レベルですよね。
プロフェッショナルに求められる、解雇を受け入れる覚悟
北野 それに関して、問題の根源の1つは、僕は新卒一括入社にあると考えています。たとえば、商社の面接でどんな仕事がしたいか聞かれて、金属と答える。すると「金属に配属されなかったらどうしますか」と謎の質問をされて、「他の商社に行きます」と言うと落ちるわけです。正解は、「御社であればどの部署でもがんばります!」。本心では金属をやりたいのに、おかしいでしょう? だってこれは「XXがしたい」じゃなくて、「XX商事で働きたいって言いなさい」ってことなので。
田端 要は、「採用してください」と下手に出させるんですよね。こうして洗脳されてしまった人は、転職の面接でも会社を褒めまくります。そうじゃなくて、自分を採用したらどんなメリットがあるかを伝える面接にしなきゃいけないのに。たとえば「自分はこういうスキルと特性を持った人間で、そんな自分が力を発揮して会社に利益を出せるのはこの部署です。それ以外はお互いの得になりません」という言い方をしたりね。会社から「逃がすには惜しい人材だ」と思わせないと!
北野 あと、新卒一括採用にくわえて総合職採用というかたちも問題です。何年もかけてあらゆる部署をジョブローテーションするなかで、仕事ではなく「会社最適」になっていきますから。そしていざ転職を考えはじめたとき、何のプロフェッショナルにもなっていないことに気づいてしまう。これって今の時代は必ずしも幸せではない。
田端 そうですね。ただ、その仕組みは解雇規制の問題とも紐付くんですよ。さっきの話で言うと、「金属のプロ」としてやっていきたいのであれば、会社が金属から撤退したときに他部署への配置転換ではなく解雇を受け入れなければならないわけで。ある分野のプロとして育つことと解雇規制問題は、セットで語らないといけません。
北野 それはおっしゃるとおりです。田端さんの就活論を記したnoteはたくさん読まれているようですが、いまの就活には物申したいことがいろいろあるんですね?
田端 僕のスタンスは一貫して「新卒一括採用はやめたほうがいい」です。でも、これはゲーム理論でいうナッシュ均衡で誰も現状を変えるインセンティブを持たないから、企業側に訴えてもなかなか変わらないんですよ。だからこうして自分の考えを発信することで、個人の考え方を変えるほうにシフトしていて。ただね、前はどんな人にも「誰でも転職できる!」と手を差し伸べていたんですが、頑なに意識を変えようとしない人に対してはだんだん「勝手にグダグダ言ってろ!」と思うようになりつつあります(笑)。
北野 いや、田端さんはどんな人ともちゃんと議論して、むしろとっても優しいなとツイッターを見ていつも思っています(笑)。
<続く>
※この対談は全3回です。前編はこちら。