大嫌いだった鉄工所を継いだ理由

 ヒルトップが、現在のような会社に変わるまでには、多くの時間がかかりました。
 ヒルトップの前身は、父が創業した山本精工所です。

 製造業とは無縁だった両親が鉄工所をしたのは、長男・山本正範を思ってのことでした。

 兄は3歳のときに大病を患い、一命をとりとめたものの、治療に使った薬の副作用で聴力を失いました

 そのことに責任を感じた両親は、わが子の将来を思い、「耳が聴こえなくても働き口に困らないように」と鉄工所を始めたのです。

 創業後は、大手自動車メーカーの下請、孫請工場として部品製造を請け負い、両親は朝から晩まで全身油まみれになりながら、兄、私、弟(山本昌治(やまもとしょうじ)/現専務)の3人を育ててくれました。

 厳しい仕事に耐えてきた両親に感謝する一方で、私は鉄工所の仕事が大嫌いでした。

 鉄工所は、重労働のわりに利益が出ません。
 工場は昼間でも薄暗く、母親は前掛け代わりに新聞紙をはさみ込んでいました。

「あばらや」のような町工場を到底継ぐ気にはなれなかったのです。

 ですから、大学卒業後は大手商社に入社するつもりでしたし、実際、内定も出ていました。

 ところが、ちょうどその頃、鉄工所を技術面で支えていた叔父が独立したため、「手薄になった工場を兄弟3人で支えてほしい」と母から泣いてせがまれました

 さすがに、母の涙を見て見ぬふりをすることはできません。

 男勝りに、油まみれになって働く母が痛々しく、なんとかラクにしてあげたいという一心で、嫌々ながら、私は家業を手伝うことになったのです。
 こうするしか、しかたがなかったのです。

 今回、年間2000人の見学者が訪れる、鉄工所なのに鉄工所らしくない「HILLTOP」の本社屋や工場、社内の雰囲気を初めて公開しました。ピンクの本社屋、オレンジのエレベータ、カフェテリア風の社員食堂など、ほんの少し覗いてみたい方は、ぜひ第1回連載記事をご覧いただければと思います。