リーマンショックなど多くのファンドが損失を拡大するような状況でも、常に圧倒的な利益を獲得してきた現役ヘッジファンドマネジャーの塚口直史氏による連載。話題の新刊『一流の投資家は「世界史」で儲ける』の内容を中心に投資家にとって有益な情報だけをお伝えしていく。
時代の変化を感じることができているか?
私が今年読んでいた本に、『征西日記』という幕末の武士が綴った日記があります。
1864年に第14代将軍徳川家茂が上洛した際に、将軍の親衛隊として江戸から同行してきた侍の日記です。彼が滞在していた163日にわたる京都の日常が記されています。
当時の京都では、尊王攘夷を唱える浪士たちが、日々殺戮を繰り広げていたといわれています。
そもそもそうした物騒な京都に将軍が上洛した理由も、攘夷を天皇に約束せよという長州を中心とした反幕勢力の宮廷外交が功を奏した結果のことでした。ちなみに、将軍の上洛自体229年ぶりの極めて異例のことでした。
ところがこの日記では、そのような剣呑な世相は一切姿を現しません。将軍の側に使える当時21歳の幕臣が、毎日のように友人とお互いの宿を行き来し、青春を謳歌している姿が生き生きと描かれています。
尊王派の諸士による将軍暗殺予告の落首が掲げられている京都で、というところに驚きを感じます。
朝は稽古、昼からはショッピングなどを楽しみ、夜は友人や家族とお菓子や魚を中心とした贈り物を毎日のように交換しています。
ときには、皆で寺社見物や遠足にいったりと、楽しい毎日が綴られています。1日出仕し3日休暇というスケジュールで日記の最後まで続いていきます。
この日記からは、政治に関する感想や激動している社会の様相が全く描かれておらず、一切幕末の激動の様子が感じられません。たまに出てくることとしては、美味しいうなぎ屋でうなぎを食べた帰路、橋のたもとに首のない侍の死体があったとの記述があるくらいです。
こうした状況こそ、実は幕末の世相の実体だったのではないでしょうか?
後で振り返ってみたときに激動する社会に見える世界も、実はそのときにその場所にいたとしても、俯瞰して世の中を見ようとしなければ、激動を感じることがないというものです。
肌感覚というものは、慣性の法則が大きな比重を占めるものです。幕末のような変革を伴う激動を感じるというよりは、平和だったこれまでの日常生活の継続に人々の感覚は重きを置きがちだったのでしょう。
私はファンドマネージャーという職務上、毎日のように投資家向けに海外から世界情勢を報告していますが、振り返ってみると、特にトランプ政権誕生に前後する2016年以降の日々はあっという間だったと感じます。
欧州ではブレグジット(英国のEU離脱)があり、アメリカではトランプ政権が誕生しました。他にも、以前なら想像もできないような様々な出来事があっという間に世界で起こりました。
そうした情勢を吟味し報告するという作業を日々繰り返していても、それでも追いつかないもどかしさを感じます。
征西日記は、『御上洛御共之節旅中並在京在坂中萬事覚留帳面』が正式名称です。
著者の友人が、故人となってしまった著者を偲んでその日記をまとめて世に残したものです。著者は伊庭八郎といい、この日記を残した後に函館戦争で亡くなっています。
戊辰戦争の最中に片手を失い、それでも函館戦争にいたるまで全国を転戦し、激戦を繰り広げた末に自決しています。
日記の後の世界は描かれていないので、彼の感慨は想像するしかありませんが、私が思うに京都で淡々と楽しく時間をすごしていたのと同様に、ぜひもなく、淡々と友人と一緒に官軍と戦っていたのかもしれません。