

サムスンでは創業者の三男李健煕(イ・ゴンヒ)がサムスン・グループの会長として君臨している。早稲田大学を卒業し、米国ジョージ・ワシントン大学でMBAを取得している。創業者李秉喆(イ・ビョンチョル)が87年に死去した後、直ちにグループの会長に就任した。李健煕は93年に突如「妻と子ども以外はすべて変えよう」と宣言し、クループの変革に着手した。サムスン・グループが躍進を始めたのはこの時からである。
変革の核となったのは人事である。世界中から優秀な人材を集め、3-5年の期限付きで雇用し、個人としての業績貢献を求めた。大きな成果を出した人材には惜しみなくインセンティブ(業績連動型の賞与)を与えた。貢献度の大きい人材は年齢に関係なく抜擢し、高い地位につけた。社内の一部の人は若くして金持ちサラリーマンになった。
日本からも東芝、ソニーといった企業から技術系の人材が次々にスカウトされていった。90年代には日本のエレクトロニクス企業の中核社員が週末に韓国に飛び、技術指導するのが常習化した。2000年以降は定年に達した優秀な人材を契約雇用し、さらに技術力をつけていった。スカウトされた人材は延べ500名とも1000名とも言われる。
日本企業はまさかサムスンが競争相手になるとは考えもしなかったのだろう。だが、ここに油断があった。日本では一定の年齢になると定年退職しなければならない。この制度は個人の能力に関係なく一律適用される。サムスンは日本の制度の盲点を突いたのだ。こうした事態が起きても、日本企業は制度を変えなかった。
日本企業では会社の業績と個人の貢献とがリンクしていない。いくら実績を上げてもそれが出世に結びつく保証はない。逆に、実績を上げなくてもそれを理由に会社を追われることもない。終身雇用が前提となっているからだ。
むしろ上役に気に入られるほうが出世の早道である。そのために社内ポリティクスのほうが重大関心事になる。こうした社内ポリティクスに嫌気がさした人々は、定年前にサムスンにスカウトされていった。