自分を「魔王」と呼ぶイタい大人だった信長

「比叡山延暦寺の焼き討ちは、当時の常識からしても、あまりに残虐でした。『東大教授がおしえる やばい日本史』でも書いたとおり、見かねた武田信玄が怒りの手紙を信長に送ったほどですから、よっぽどです。

 ところが、信長はその手紙の返事に“第六天魔王 信長”というサインを書いて出します。“第六天魔王”というのは仏教の敵の悪魔のことなので、現代風に言い換えるなら”暗黒の破壊神 信長”とか”堕天使ルシファー 信長”のようなサインです。

 そう、信長のメンタルは中二病だったのです。

 歴史研究者のなかには、じつは信長は冷静で理知的な人物だった、と考える人もいます。信長は延暦寺に“言うことをきかないと焼き討ちするぞ”と事前に伝え、延暦寺側が“やれるものならやってみろ”と答えたから実際にやったんだ、という理論です。

 でも、小学生のケンカじゃないんだから、“やってみろ”と言われて実際に焼き討ちをしてしまうのは、とても冷静とはいえませんよね。

 ほかにも信長は、長島や越前の一向一揆、伊賀惚国一揆の殲滅でも数万人を殺戮しました。戦国時代の倫理観でも“ありえない残虐さ”だったからこそ、信長は何度も部下に反旗を翻されますし、最後は明智光秀に討たれて志半ばで死ぬことになるのです。

 こんな上司の部下になったら、利益最優先でムチャぶりをさせられ、精神を病んでもおかしくありません。しかし一方で、豊臣秀吉のように日本一になるチャンスを手に入れられるかもしれない。これは表裏一体です」

「歴史を両面から見る」ことの重要さ

 「歴史人物を見るときに、”すごい”面だけをフィーチャーしたものに影響を受けて憧れるのは危険です。かといって”やばい”面だけを雑学として知っても仕方ない。

 ”すごい”と”やばい”の両面から見ることで、初めて客観性を手に入れることができます。

 客観性のない人物評価は単なるフィクションです。そして僕たちの人生もまた、自分から見た面だけでは、他人にとってフィクションにすぎません。現代においても、客観的視点で物事を見ることは、何よりも大切なのではないでしょうか」