>>(上)より続く

 母がゆるいキリスト教徒で、幼少の頃は日曜礼拝に連れられて行ったことが幾度もある。そこで結婚は神聖なものとして教えられた。キリスト教への信仰は芽生えなかったが、なぜか“結婚”に対する畏敬の念だけはBさんの中に根付くこととなった。

 女遊びの限りを尽くしたBさんだったが、その都度避妊は怠らなかったようであり、この点については特にここで言及しておく。女遊びの激しい男性には避妊をしないで行為に及ぶ人が珍しくない。「避妊する派」のBさんには、浮気を繰り返してきたとはいえ責任感のようなものが若干垣間見ることができると言えるかもしれない。そしてそのことと「不倫をしない」ことが関係している可能性もあり、Bさんの人間性を分析する上で彼が「避妊する派」だったことは頭の隅に入れておきたい。

 やがてBさんはある女性と結婚をした。その時点で、若い頃ほどではなかったがポツポツと続けていた女遊びを、結婚してスパッと絶ったのであった。

 しかし元来性欲や異性への興味が強いタチであるのか、結婚による精神的な拘束感に耐えられなくなったのか、結婚から半年もするとあっけなく宗旨替えして、「バレなければ不倫してもいいのでは」と考えるようになった。しかし、そしてそれから結婚7年、結局不倫をせずに今に至っているというのである。

 過去の「結婚は神聖なもの。結婚したら不貞は働かない」という考えはまだ残っているのだろうか。

「残っていないです。少なくとも意識できる範囲では完全に。でも不倫しないでここまで来ているので、『不倫しない』というかつての決意が無意識で働いているのかもしれません」

 では不倫に憧れるBさんがこれまで不倫をしてこなかったことの、最たる理由はなんだろう。

「単純に『面倒くさい』んですよね。前はナンパやネットで出会ったり、周りにいる人と仲良くなって関係を持ったりしてきましたが、当然のことながらどれもベッドインするまでの一連の流れがありました。仲良くなって、飲みに連れだして、連れ込むというやつです。『不倫するためにはそれをやらなくちゃいけないのだ』と考えると煩わしすぎて、『面倒だから何もしない方がマシ』と思えてきてしまう。

 ナンパもネットもこちらから声をかけることで始まりますが、あれも最初は気力がいるもので、その気力が今は湧いてこない。

 それに加えて今は妻と同居していますから、不倫するとなるとそれを隠すために『仕事で遅くなる』などの嘘をつかなくちゃいけない。嘘をつくのも面倒くさいんです。不倫にまつわる全てのことが面倒くさい」