SNS上で、経営やマーケティングに関する独自のコメントでフォロワーを集め、インフルエンサーの1人となった、“えとみほ”さんという女性がいる。
近年の経歴を簡単に紹介すると、40代でウェブメディアの編集長を経験したのち、アプリ・Webサービスの「Snapmart」を開発して経営者に。その後代表を退いてすぐに、全くの異分野であるJリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長に就任して周囲を驚かせた。
なぜ彼女は、このように自由な働き方ができるのか?
どのような基準で人生の進路を決めているのか?
以前よりSNS上で“えとみほ”さんと交流し、自身もフリーランスとしてユニークな活躍をする“きたみりゅうじ”氏に、その秘密を探ってもらう連載の第2回。(第1回はこちらへ)
『禁煙セラピー』との出会い
やる気が起きない。朝起きることができない。そうしてただ1日をぼーっと過ごすばかり…。
そんなうつ状態になって廃業を余儀なくされたえとみほさんが、次に立ち上がるきっかけとなったのは、『禁煙セラピー』との出会いだった。ちょうどmixiがスタートして、日本でSNSの変革を起こした頃でもある。
え「mixiはエポックメイキングでしたよね。あれの前と後で、一般の人のネットとの距離が随分変わったというか。ネットに詳しい人じゃなくても発信できるようになった」
その頃の僕は、『SEのフシギな生態』という本がプチヒットしてくれて、それを足がかりに活動の幅を広げようとがんばっていた時だった。
IT書系の出版で認められたということは、裏を返せば「IT書の著者」というレッテルを貼られることでもある。当時、すでにIT書バブルもすっかりはじけて「売り場縮小待ったなし」だったこの業界に縛られることは、とりもなおさず自分の未来も縮小していくことにつながる。それで、実用書系出版社で税金に関する本を書き、文芸書畑の出版社でコミックエッセイを描きと、レッテルが誰の目にもそれと定着してしまうその前に、とにかく活動の幅を外に求めて、「IT書“も”書ける著者」にクラスチェンジを図っていた年だった。
当時の僕はそんなことに懸命で気が急いていて、mixiによる変革といったあたりにはあまり目が向いていなかったようにも思う。
き「その頃えとみほさんは何してたんですか?」
一方で、この頃えとみほさんは、遠い海の向こうのイギリスにいたらしい。
え「廃業して2年半くらいぷらぷらしてたんですけど、完全にぽけーっとしていたのは最初の1年で、後の1年はけっこうアグレッシブに動いてたんですよ。仕事はしてなかったんですけど、何かしなきゃって。その時にイギリスへ行ったんです。サッカーが好きでプレミアリーグ観に行きたくて」
そこでえとみほさんは「禁煙セラピー」というコンテンツに出会う。
え「当時は家に引きこもっていたこともあってけっこうなヘビースモーカーだったんですけど、向こうの知り合いが『このセミナー受けたら煙草5時間でやめれた』とか言うんですよ。うっそー有り得ないでしょと(笑)」
それで興味を持ってセミナーを受講してみたという。そして、それからは今に至るまで、本当に1本も吸っていないらしい。
え「もう『何これ魔法じゃーん』って感じで。それで、これは是非日本に持ち帰りたい、みんなに教えたいと思って創始者のおじいちゃんに交渉しに行ったんですよ。それがはじまりですね」
権利の取得と事業のはじまり
え「最初は断られちゃったんですよね。でもそこから半年くらいかけて何度かアプローチして、さすがにあまりにもしつこいんで、じゃあいくらならライセンス売るよって話になって」
き「個人でポンと買ったんですか!? すごい(笑)」
え「それこそ香月さん(※前回参照)のおかげです。ITライター時代に彼とやったネットオークションの本の企画があって、これがバカ売れしたんですよ。1冊で印税が2500万円くらいになってたので、それを丸ごとこっちに突っ込んじゃった」
き「あ! ありましたねー」
言われてみれば確かに当時ネットオークションの本がバカ売れしていて、彼が破顔しっぱなしだったのは記憶に残っている。あれがえとみほさん作だとは知らなかったけれど、なるほどあのへんを手がけていたとなれば、香月さんが僕にえとみほさん自慢をしまくっていたのも納得のいく話。
それにしても、その金額を丸ごと突っ込む思い切りの良さは真似できないなあと感心するしかない。
え「それで、禁煙セラピーの権利を日本に持ち帰って、グッズを作ったりセミナー展開をしたりしたんですよ。セミナーは個人向けと法人向けを両方やって、法人向けの方が予想外に儲かりました」
き「え、でもちょっと待ってくださいね。このコンテンツいいなーと思って交渉するのはわかるんですよ。自分にできるとは思わないですけど、なんとなくとっかかりの想像はつきます。でもグッズを作ったり、セミナーを開いたりというのは、意気込みだけじゃどうにもならないですよね?まったく0の状態から、1の状態にするのって一番大変だと思うんですよ。その知識って、どこから来たものなんですか?」
え「あれ?そういえばそうですね、どうしてだろう…」
こともなげに語るえとみほさんの口調にうっかり流されそうになるのだけれど、セミナーを展開するとなれば講師もいるし場所もいる。集客だってしなきゃいけない。僕ならどうするだろうと想像しようと思っても、まったく無の状態で権利だけを持ち帰って、それを事業として形作る流れはどうやったって具体性を持って頭の中に浮かんでこない。
そりゃそうだ、僕はしがないITライター風情だもの。
そのITライター風情にしても、仕事のキャパを増やそうと事ある毎にアシスタントさんをお願いすることを検討しては、「最初の1人」を雇うハードルが高くて断念してきている現実がある。それくらい、最初の「0から1へ」と歩を進めるのはハードルが高い。自分1人の気楽さと、誰かを雇うことで生まれる責任の重さの間には、高い高い壁がある。
でも、当時のえとみほさんだって、バックグラウンドはそれと大差ないはず。
なぜ彼女には、そんな知識があったんだろう。
0を1に、そしてまた0に
え「あ、思い出した、mixiだ」
き「え?mixi?」
え「当時mixiで、いくつかコミュニティを主催するようなことをよくしてたんですよ。それらと同じようにこの禁煙セラピーについても、『これを日本に持ち帰ってこんなことがしたいこれこれこうでー!』と熱い思いをずらずら〜と長文で書いてコミュニティを作り、協力者を募ったんです。そしたら出資してくれる人とかアドバイスしてくれる人とか、一緒に働きたいっていう人がたくさん手を挙げてくれて」
びっくりした。確かにそれなら、足りない知識は補える。必要なのは行動力と熱意だけ。逡巡しないでその行動に出ることができる胆力もすごいし、何より今のインフルエンサーとしてのえとみほさんは、その頃からすでにそうだったんだというのがまたすごい。
き「今で言うクラウドファンディングみたいなことをしていたわけですね」
え「そう言われてみればそうですね(笑)」
き「それがいくつの時でしたっけ?」
え「29歳です」
禁煙セラピーというコンテンツ自体は、えとみほさん以前にも書籍という形で日本に来たことがあって、その時にもちょっとしたブームを呼んでいたりした。
彼女の会社では、この類書展開も行い、ツタヤとの協業でDVDも発売。当時国の施策として健康増進法が施行されたことも追い風となり、事業は瞬く間に軌道に乗っていくこととなる。
え「健康増進法で組合員の喫煙率で健保組合の収入が変動することになったんですよ。それで、突然法人向けのセミナーの引き合いが増えて。あれは超ラッキーでしたね」
どこからどう見ても順風満帆のサクセスストーリー。今にして思えば、香月さんからえとみほさんの名前を聞いたのは、ちょうどこの頃だったのだろう。ところが…。
え「でも人間関係でちょっと揉めちゃったんですよ」
き「え?」
え「マネジメントが下手すぎて下の人間がついてこなかったんです。私は私で『こんなにやってるのに〜!』となって仕事に嫌気がさしちゃった。それで事業から身を引いたんです」
この時、とある著名なベンチャーキャピタリストに言われた言葉が、彼女の次の行動を決定する。
「あなたは雇われた経験がないから向こう側の気持ちがわからないでしょう?一度逆の立場を経験してみるのもいいかもね」
確かにそうかもしれない、自分のキャリアは歪だ。そんな思いもあって、彼女は雇われの身になることを目指し、転職活動をはじめることになる。