SNS上で、経営やマーケティングに関する独自のコメントでフォロワーを集め、インフルエンサーの1人となった、“えとみほ”さんという女性がいる。

近年の経歴を簡単に紹介すると、40代でウェブメディアの編集長を経験したのち、アプリ・Webサービスの「Snapmart」を開発して経営者に。その後代表を退いてすぐに、全くの異分野であるJリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長に就任して周囲を驚かせた。

なぜ彼女は、このように自由な働き方ができるのか?
どのような基準で人生の進路を決めているのか?
以前よりSNS上で“えとみほ”さんと交流し、自身もフリーランスとしてユニークな活躍をする“きたみりゅうじ”氏に、その秘密を探ってもらう連載の第3回。(第1回はこちらへ

一番の転機は「サラリーマンになったこと」

「0を1にするところが、私は得意なんだと思う」
「その逆に、一番苦手なことは90を100にするところ」

 えとみほさんは自己を分析してそんなことを言う。言われてみれば、僕がかつて勤めていた会社の創業者社長もそんなタイプの人だった。得意なことは資金調達という名の借金。とにかく事業を興し、軌道に乗れば飽きて誰かに託すのが好きなタイプで、流れ流れて今はハワイでホームレスをしている。数年前、ハワイ旅行のついでで会いに行ったら「また復活してみせるよ」と笑っていた。相変わらず起業を諦めていないタフな人。
 けれどもえとみほさんの場合、どうもそうした起業家気質ともまた違う印象を受ける。そうした人にありがちな「自分!自分!自分!」というアクの強さがない。
 じゃあ虚栄心がなく、名誉欲もなく、どうもお金というわけでもないみたいに見える彼女の、その原動力は何なのだろう。

“えとみほさん”に働き方の秘密を聞いてみた(3)「飽きて」外資ITを辞めて、「楽しそう」でSnapmartを起業したえとみほ(江藤美帆)米国留学中、マイクロソフト社でソフトウェアの日本語ローカライズに携わり、その後1年間本社に勤務。帰国後フリーのテクニカルライターとして活動後、2004年に英国企業のコンテンツライセンス管理会社を設立。日本における「禁煙セラピー」の普及活動に従事し、2010年に事業譲渡。以後、VR系ITベンチャー、外資系IT企業などを経て株式会社オプトに入社。ソーシャルメディアの可能性を探求するメディア「kakeru」(初代編集長)などを立ち上げる。2015年10月より関連会社の株式会社オプトインキュベートに出向し、「スマホの写真が売れちゃうアプリ Snapmart(スナップマート)」を企画開発。2016年8月、ピクスタ株式会社への事業譲渡に伴い新会社スナップマート株式会社へ移籍。2018年3月、代表を退任し非常勤顧問に就任。2018年5月より、Jリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長。 twitter:@etomiho

「退社することになったのは、禁煙セラピー事業をはじめて6年が過ぎたあたり。ちょうど事業を引き受けてくれる人もいたので、富山の実家に戻ってぼけーっとしてました」

「そしたらそっちの会社で、VR(Virtual Reality)でモデルルームを作って不動産販売につなげるという、当時としては斬新なことをしていたところがあったんです。でも技術の会社だから売り出し方が下手で、マーケティング職を募集していて、それでこれいいなと」

「経営者から社員の身になることに対するためらいは全然なかったんですか?」

「そこは全然ないですね(笑)」

「元々経営者になりたかったわけではなくて、単純にいいものを見つけたから広めたいというのがあって、そしたらお金も集めなきゃいけないし、そのためには法人にする必要もあるし、じゃあ誰が代表やるんだ、あ、私か、みたいな。それだけだったので」

「僕はフリーランスになってから事ある毎に復職する夢を見るんですよ。食えなくなって、知人を頼ってサラリーマンに戻るんですけど、決まって『働かなくてもお金がもらえる!サラリーマンすごい!』ってなって怠けまくるもんだから皆に呆れられてクビを切られる夢なんですね。その度にサラリーマンにはもう戻れないなあって自覚するんです。だから、そっちに戻れるというだけでも驚きなんですよ」

「私はむしろ逆で、サラリーマンを経験してないんですよ。だからその立場がすごく新鮮で、刺激だらけで楽しかったですね」

 加えて彼女には、「一番のコンプレックス」と言えるものがあったのだという。

「私、自分が勤め人をできると思ってなかったんですよ。学校を卒業して、どこかに就職したというキャリアを経ずにここまで来てしまっていたので、リクナビネクストなんかに履歴書を出しても、この経歴じゃ雇ってもらえないと思ってたんです。それがすごいコンプレックスで」

「だから、これが私のキャリアの中で一番の転機でした」

「え、そうなんですか!」

 華々しく見える彼女の一連のキャリアの中で、一番の転機が「ごく普通のサラリーマンになったこと」というのはすごく意外に思える。人の持つコンプレックスというのは、本当に外から見た印象だけではわからないものらしい。

「実際に雇われる側の立場になってみて、ぜんぜん視点が違うんだなと実感しました。経営者の時は、なんでやんないんだろうと思ってた。でも、反対の立場になってみたら、そこまでやるんだったら自分で経営してるよと(笑)」

「頭の中ではそんなことわかっていたつもりだったけど、実際になってみると見えてなかったんだなーって思いますね」

「飽きる」ことは次を「楽しむ」ために大事だと思う

 その後ほどなくしてえとみほさんは職場で知り合った方と結婚。旦那さんが東京の会社へ転職することになったので、自身も退職して、移り住んだ東京の新居で専業主婦となる。

「でもずっと家にいるから暇なんですよ。暇だから毎日用もないのに旦那さんにLINEしてて。そんな人の相手をする方も大変なのか、最後は『頼むから早く働いて』って言ってましたね(笑)」

 じゃあ転職活動するかという頃、声がかかる。VR系ITベンチャー時代に営業先でもあった六本木にある外資IT企業の日本法人だった。

「ここはめちゃくちゃいい会社でしたね。人間関係も待遇も。仕事も革新的で面白いし。ただ、それでも退職する人はいるんですよね。こんなとこ辞める人がいるなんて信じられない、ありえない、当初はそう思ってました。けれども飽きがくるんですよね」

「それはどういう?」

「日本法人なので、どうしても本国の意向が大勢を占めるんですよ。それでつまんなく思うことが増えて、2年ぐらいする頃には『もういいかな』って思うようになって。日本の会社の方がいいなーって」

 結局入社から3年後に退社。転職エージェントの斡旋を受けて、インターネット広告代理店のオプトへと入社を決める。ソーシャルメディア事業部の求人だった。

「どうも同じ事を続けていると飽きちゃうんですよね。でも、飽きがくることは大事だと思います。今では、ですけど」

 それは僕もわかる気がする。目標を作って達成するまではいいのだけど、その後も同じ事を繰り返していると、成長が止まっている気がして焦燥感に囚われるからだ。「飽きる」と「焦る」の違いはあるけれど、根っこは同じなんじゃないかなという気がする。

“えとみほさん”に働き方の秘密を聞いてみた(3)「飽きて」外資ITを辞めて、「楽しそう」でSnapmartを起業した

kakeru編集長からSnapmart起業へ

 今となってはえとみほさんのプロフィールで大きな配分を占めるのが、オウンドメディアの先駆けである「kakeru」編集長時代と、言うまでもないSnapmart起業者としての顔。オプトへの入社によって、ようやく話はその入口に立ったことになる。

「そのオプトでオウンドメディアのkakeruを手がけるわけですか?」

「そうなんですけど、最初は私、関係なかったんですよ。元々は会社の方針で若い子にチャンスを与えようというのがあって、それでプレゼンをやって権利を得た若い子2人の事業だったんです」

「それをなんでえとみほさんがやることに?」

「それがですね、その2人が毎日何かしら会議をやってああでもないこうでもないとしてるんですけど、半年経っても何も始まらないんですよ(笑)それで、上司から中に入ってやってあげてよと言われて」

「半年は長いですね(笑)その2人は何をそんなに行き詰まっていたんでしょう?」

「多分、どこから手をつけていいのかわからなかったんだと思います。メディアを立ち上げたりとか、したことなかったから。あと、同じ立場の人間が二人いても、何も決められないんですよね。やりたいことも微妙に違ってたりするから」

 メディアを立ち上げたことがないのはえとみほさんも同じ。でも、彼女には事業の立ち上げ経験があり、ずっとIT業界に関わっていたおかげで界隈の知り合いも多かった。だから、「Webメディア」と考えた時に、とりあえず容れ物となるガワについては見よう見まねですぐできた。後は中身をどうするか。当時流行り始めていたキュレーションがいいのではないかと一瞬考えたものの…。

「ほんと一瞬だけ(笑)でもすぐ考え直して、これだけ流行っているんだから自分は逆張りで行こうと。これだけみんながそっちを向いてる状況だからこそ、オリジナルのコンテンツであることが価値として再評価されるようにきっとなると思って」

 記事を執筆するのは自社の社員たち。とはいえ「ネット広告の会社に入りたい」と思って入社してきている社員ばかりなので、彼らに文章を書く力はない。ただ、SNSという分野に関するネタは豊富に持っている。「インスタ映え」という言葉もまだない時代、そこで「インスタジェニック」という言葉を作り出し、多くの人に訴求する記事を作り上げてみせたのは、そうした彼らの持つネタの力だった。

「最初の頃は絶望しかなくて。ほんとに話はみんな面白いんだけど、文章が昔流行ったケータイ小説みたいなんですよ(笑) しょうがないから私が全面的に『赤入れ』すっ飛ばしてリライトしてたんですけど、彼らも『文章を書く』こと自体には興味もプライドもないから『ありがとうございまーす』って感じで。だから初期のものは7割くらいは私がゴーストライターをしていたと言ってしまってもいいかもしれません」

「ライター時代の経験が生きてますね(笑) Snapmartの着想を得たのもこの時ですか?」

「そうですね、この時に『記事に使える写真が世の中には少ないぞ?』と気付くんですよ。Googleで検索すると、お金を払って使えるならアイキャッチなどに使いたい写真はたくさん出てくるのに、それらを売ってくれる場所がなかった」

「純粋に自分が欲しいサービスだったんですね」

「そうですそうです」

 オウンドメディア kakeruの立ち上げが無事に終わって半年後、彼女はそのポストを後任に譲り、Snapmart事業へと乗り出すことになる。二度目の起業、43歳の時だった。

足がすくむ気持ちを越えさせるもの

「新規事業はもちろんなんですけど、途中途中、『手伝ってよ』『やってあげてよ』と見込まれて新しいことに挑まれてますよね。そういう時に『怖い』となる感覚とかってないんですか?できるかなと不安になるようなの」

「そこは任命者の責任だろうと(笑) 私ならできると思って言ってきてるわけだから、仮にできなくても、私1人のせいじゃない(笑)」

「すごい。割り切ってるんですね(笑)」

「それに、会社員なら私1人ができなくてもなんか回っていくみたいな気持ちもありますね」

 僕は40歳を過ぎた今、仕事が変に落ちついてしまって、「次をやる必要に迫られてはいないけれどもこのままではどうもつまらない」という毎日の中にいる。何か夢中になれるものはないかなと色々試し、でも次の一歩を踏み出すかといえばどうも煮え切らない。
 昔はそんなハードルを感じないで夢中になれた。実現したいことやなりたい姿があってそのために頑張れたし、それを大変とも思わなかった。
 でも今、振り返ってまた同じことをやると考えると「うわ大変そう」とげんなりする。正直足がすくむ。

「なぜえとみほさんは、そんな気持ちにならないんだと思いますか?」

「楽しいと思うもの面白いものを、みんなに伝えたいという気持ちが根底にあるんだと思います」

 今回の対談にあたり、Webに掲載されている彼女のインタビュー記事や印象的なブログエントリーはいくつか読んでいた。その中のひとつに「40代の起業には20代にはない覚悟が必要」という文があった。つまりえとみほさんも超人じゃないのだ。大変だと思う気持ちは理解できる立場で、でも彼女にとっては変わらず楽しいことをやっているに過ぎないということだ。

「ただ、自分のキャリアを振り返ってみても、フリーランスが一番楽ですよ。自由です。それで10年20年とやっていけるなら、それが一番いいと思う。経営者はわりにあいません」

 わりに合わないとわかりつつ、でもやらずにいられない。えとみほさんの原動力が見えた気がした。

“えとみほさん”に働き方の秘密を聞いてみた(3)「飽きて」外資ITを辞めて、「楽しそう」でSnapmartを起業したきたみりゅうじもとはコンピュータプログラマ。本職のかたわらホームページで4コマまんがの連載などを行う。この連載がきっかけでイラストレーターではなくライターとしても仕事を請負うことになる。『キタミ式イラストIT塾「ITパスポート」』『キタミ式イラストIT塾「基本情報技術者」』(技術評論社)、『フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました。』(日本実業出版社)など著書多数。twitter:@kitajirushi