超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!
第5章 ワルの錬金術(2)
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言葉の意味を理解するまで3秒、かかった。詐欺師──黒崎が? 有馬は立ち上がる。
「どういうことです」声が上ずってしまう。
「有名なプロ経営者じゃないですか」
「世間の認識はともかく、おれの評価は詐欺師だ」
納得できない。仮にも日本のイーロン・マスクと謳われる男だぞ。有馬は抗弁する。
「世界の自動車メーカーがこぞって接触し、水面下では欧州メーカーとの資本提携も──」
城は顔をしかめ、やめろ、と野良犬を追い払うように手を振る。
「おまえは、その接触とやらの現場を見たのか? あいつはマスコミ人にカネをつかませ、シンパに仕立て上げる人たらしの天才、自己演出の大天才だ。そのシンパどもがしゃべり、書きまくり、黒崎宏を希代の大物に仕立て上げる」
こめかみがじりっと熱くなる。極秘情報だが、と前置きして欧州自動車メーカーとの資本提携話を明かしたベテラン記者。ならばあの男も? 額を脂汗が伝う。
「詐欺師はカネの遣い方を心得ている。おまえも美味い話を持ちかけられなかったか?」
逃げるように顔を伏せる。年収2000万と交際費青天井の広報担当。足元が呆気なく崩れていく。城は確信をもって語る。
「メールの取材依頼書を一読し、あいつはおまえを警戒した。当然だ。元読日社会部記者がなにを血迷ったか、めいっぱい取材に回っている。詐欺師はあせり、一刻も早く会って確かめたかった」
確かめる? とかすれ声で問う。城は答える。
「このフリー記者は自分の背後に気づいているのか、いないのか」
背後──城はさらに言う。
「つまり黒幕の存在だ」
黒幕、だと?
「黒崎に『山田製作所』を買収できるわけがない。あいつは文無しだ」
有馬は絶句した。資産をすべて吐き出し、自宅も別荘も抵当に、と豪語したプロ経営者。ダメだ。思考が追いつかない。城の重い言葉が頭蓋で木霊する。
「病的なギャンブル好きに加え、一発逆転を狙った無謀な不動産投資で万事休す。築き上げた数十億の資産をすべて熔かしている。おまえの甘い取材ではわからないだろうが、な」
有馬は力なくうなだれた。
「へたり込むのはまだ早いぞ。頭を冷やしてよく考えてみろ」
城は容赦なく攻めたてる。
「仮にも元読日社会部だ。黒崎にも面会している。あいつの態度で思い当たるフシはないか」
なにが?
「黒幕の存在だ」
有馬は息を詰め、集中する。考える。あいつの態度──。脳みその隅に浮かぶものがある。ざらっとした違和感だ。終始黒崎のペースで進められた取材の途中、一度だけ、違和感を覚えた場面があった。あれは──そう、和製スティーブ・ジョブズを気取った黒崎が、口角泡を飛ばす勢いで好き勝手にしゃべっているときだ。すべてあのひとのおかげですね、と言葉をはさむや黒崎の表情が変わった。探るような目で凝視するプロ経営者。
あのとき、誤解したのではないか? いよいよ黒幕のことを持ち出してきた、と。そう仮定してしまえば平仄が合う。“あのひと”が江田慎之介を指す、とわかったとたん、見せた安堵の表情。間違いない。黒崎は目の前の元ブンヤが能無しとわかり、ほっと胸を撫で下ろした。この貧しいフリーは簡単に籠絡できると踏み、なめてかかった。
年収2000万でその気になった貧乏人……。顔が炙られたように熱くなる。
有馬は屈辱を噛みしめ、ひとさし指を立てる。
「もう一度だけ」すがるように懇願する。
「城さん、もう一度だけ、チャンスをください」
「なぜだ?」城は首をかしげて問う。
「おまえは間抜けだと言ったはずだが」
「それは間違っている」
どこが、と凄腕投資家は侮蔑を込めたにらみをくれる。有馬はその険しい視線を受け止め、返す。
「間抜けじゃなくて大間抜け、です」
城はひと呼吸分見つめ、いいじゃないか、と薄く笑う。
「すべては己の分を知ることから始まる。おぼえておけ」
有馬は拳をぐっと握り、かすれ声で宣言する。
「元社会部記者のプライドにかけて、黒幕の正体を暴いてやります」
城は3本の指を掲げる。
「3日間だけ待とう」片ほおをゆがめ、冷笑する。
「おれも能無しとダラダラつき合っているほどヒマじゃないんでな」
有馬は屈辱に背を押され、逃げるようにしてその場を後にした。
***
「たいへんだねえ」
初老の男はふっと煙を吐く。池袋駅から徒歩5分。東池袋公園の近く、首都高速の際にある雑居ビル地下。『ローズ』という名の古くて暗いバーだった。
午後8時半。ヒッコリーのカウンターで有馬はハイボールを飲み、柿の種をかじる。
「後悔してるんじゃないの?」
胡麻塩のクルーカットに、そげたほおと潰れた鼻。淡いライトの下、シワを刻んだ顔が愉快げに陰影を刻む。
「思い切ったよねえ」
濁った目を細め、ショットグラスを干し、タバコを喫う。痩身に緑色のジャケットと濃紺のズボン、白いエナメル靴。売れない演歌歌手のようなこの男は有馬が記者時代、使っていたネタ元だ。矢島隆、62歳。風俗の女を数人抱えた遊び人で、どういうルートを持つのか闇社会の事情にめっぽう強い。
「後悔なんかあるか」
有馬は吐き捨て、ハイボールを飲む。横で矢島がぼそぼそ言う。
「斜陽のブンヤさんもつらいけど、フリーの物書きは存在自体がねえ」
その先は言われなくてもわかる。存在自体が貧乏臭い、と。
「やだやだ」顔をしかめ、首を振る。
「とても割に合わないよねえ」
女の生き血を吸う遊び人に同情される元ブンヤ。おかしくて泣きそうだ。ハイボールを干し、無愛想なバーテンにバーボンのロックを注文。ついでにサラミも。
「有馬ちゃん、まさか経済ライターに転身したわけじゃないよね」
アホか。笑い半分で返す。
「おれは一生、地味で冴えないドブネズミ、いや社会部だよ」
小皿に残った柿の種を掌にすくい、ガリガリ噛み、届いたバーボンで流し込む。
「それしかできねえもん」
サラミを食う。まずい。厚紙を噛んでいるようだ。胸に苦いものが満ちていく。元社会部記者のプライドにかけて、と啖呵を切り、城のマンションを後にしたのが3日前。以来、興奮剤を打たれた猿みたいに目を血走らせ、取材に駆けずり回った。黒崎宏の正体を探るべく、関係者を根こそぎ当たった。
総合商社時代の同僚から始まり、V字回復を果たしたスーパーマーケットの元役員、黒崎をスカウトしたアパレルメーカー創業者(故人)の側近、外資系ファストフードチェーンの元監査役─紹介のまた紹介も含め、両手の指にあまる取材をこなした。
黒崎の新たなパーソナルデータを収集して思い知ったことがある。城に提出した報告書は無能の証明、と。
(続く)