超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

日本のイーロン・マスクと謳われる<br />有名なプロ経営者は、<br />実は稀代の詐欺師だった!?

第5章 ワルの錬金術(2)

前回まで]フリージャーナリストの有馬浩介は、謎の投資家・城隆一郎の依頼でベンチャー企業「ミラクルモーターズ」の調査を開始した。取材に対して壮大な経営ビジョン語る同社トップ黒崎宏に魅了され、有馬は高評価のレポートを提出する。しかしそれを読んだ城は有馬を「間抜け」と呼びレポートを破り捨てるのだった──。

 ***

 言葉の意味を理解するまで3秒、かかった。詐欺師──黒崎が? 有馬は立ち上がる。

「どういうことです」声が上ずってしまう。

「有名なプロ経営者じゃないですか」

「世間の認識はともかく、おれの評価は詐欺師だ」

 納得できない。仮にも日本のイーロン・マスクと謳われる男だぞ。有馬は抗弁する。

「世界の自動車メーカーがこぞって接触し、水面下では欧州メーカーとの資本提携も──」

 城は顔をしかめ、やめろ、と野良犬を追い払うように手を振る。

「おまえは、その接触とやらの現場を見たのか? あいつはマスコミ人にカネをつかませ、シンパに仕立て上げる人たらしの天才、自己演出の大天才だ。そのシンパどもがしゃべり、書きまくり、黒崎宏を希代の大物に仕立て上げる」

 こめかみがじりっと熱くなる。極秘情報だが、と前置きして欧州自動車メーカーとの資本提携話を明かしたベテラン記者。ならばあの男も? 額を脂汗が伝う。

「詐欺師はカネの遣い方を心得ている。おまえも美味い話を持ちかけられなかったか?」

 逃げるように顔を伏せる。年収2000万と交際費青天井の広報担当。足元が呆気なく崩れていく。城は確信をもって語る。

「メールの取材依頼書を一読し、あいつはおまえを警戒した。当然だ。元読日社会部記者がなにを血迷ったか、めいっぱい取材に回っている。詐欺師はあせり、一刻も早く会って確かめたかった」

 確かめる? とかすれ声で問う。城は答える。

「このフリー記者は自分の背後に気づいているのか、いないのか」

 背後──城はさらに言う。

「つまり黒幕の存在だ」

 黒幕、だと?

「黒崎に『山田製作所』を買収できるわけがない。あいつは文無しだ」

 有馬は絶句した。資産をすべて吐き出し、自宅も別荘も抵当に、と豪語したプロ経営者。ダメだ。思考が追いつかない。城の重い言葉が頭蓋で木霊する。

「病的なギャンブル好きに加え、一発逆転を狙った無謀な不動産投資で万事休す。築き上げた数十億の資産をすべて熔かしている。おまえの甘い取材ではわからないだろうが、な」

 有馬は力なくうなだれた。

「へたり込むのはまだ早いぞ。頭を冷やしてよく考えてみろ」

 城は容赦なく攻めたてる。

「仮にも元読日社会部だ。黒崎にも面会している。あいつの態度で思い当たるフシはないか」

 なにが?

「黒幕の存在だ」

 有馬は息を詰め、集中する。考える。あいつの態度──。脳みその隅に浮かぶものがある。ざらっとした違和感だ。終始黒崎のペースで進められた取材の途中、一度だけ、違和感を覚えた場面があった。あれは──そう、和製スティーブ・ジョブズを気取った黒崎が、口角泡を飛ばす勢いで好き勝手にしゃべっているときだ。すべてあのひとのおかげですね、と言葉をはさむや黒崎の表情が変わった。探るような目で凝視するプロ経営者。

 あのとき、誤解したのではないか? いよいよ黒幕のことを持ち出してきた、と。そう仮定してしまえば平仄が合う。“あのひと”が江田慎之介を指す、とわかったとたん、見せた安堵の表情。間違いない。黒崎は目の前の元ブンヤが能無しとわかり、ほっと胸を撫で下ろした。この貧しいフリーは簡単に籠絡できると踏み、なめてかかった。

 年収2000万でその気になった貧乏人……。顔が炙られたように熱くなる。

 有馬は屈辱を噛みしめ、ひとさし指を立てる。

「もう一度だけ」すがるように懇願する。

「城さん、もう一度だけ、チャンスをください」

「なぜだ?」城は首をかしげて問う。

「おまえは間抜けだと言ったはずだが」

「それは間違っている」

 どこが、と凄腕投資家は侮蔑を込めたにらみをくれる。有馬はその険しい視線を受け止め、返す。

「間抜けじゃなくて大間抜け、です」

 城はひと呼吸分見つめ、いいじゃないか、と薄く笑う。

「すべては己の分を知ることから始まる。おぼえておけ」

 有馬は拳をぐっと握り、かすれ声で宣言する。

「元社会部記者のプライドにかけて、黒幕の正体を暴いてやります」

 城は3本の指を掲げる。

「3日間だけ待とう」片ほおをゆがめ、冷笑する。

「おれも能無しとダラダラつき合っているほどヒマじゃないんでな」

 有馬は屈辱に背を押され、逃げるようにしてその場を後にした。

 ***

「たいへんだねえ」

 初老の男はふっと煙を吐く。池袋駅から徒歩5分。東池袋公園の近く、首都高速の際にある雑居ビル地下。『ローズ』という名の古くて暗いバーだった。

 午後8時半。ヒッコリーのカウンターで有馬はハイボールを飲み、柿の種をかじる。

「後悔してるんじゃないの?」

 胡麻塩のクルーカットに、そげたほおと潰れた鼻。淡いライトの下、シワを刻んだ顔が愉快げに陰影を刻む。

「思い切ったよねえ」

 濁った目を細め、ショットグラスを干し、タバコを喫う。痩身に緑色のジャケットと濃紺のズボン、白いエナメル靴。売れない演歌歌手のようなこの男は有馬が記者時代、使っていたネタ元だ。矢島隆、62歳。風俗の女を数人抱えた遊び人で、どういうルートを持つのか闇社会の事情にめっぽう強い。

「後悔なんかあるか」

 有馬は吐き捨て、ハイボールを飲む。横で矢島がぼそぼそ言う。

「斜陽のブンヤさんもつらいけど、フリーの物書きは存在自体がねえ」

 その先は言われなくてもわかる。存在自体が貧乏臭い、と。

「やだやだ」顔をしかめ、首を振る。

「とても割に合わないよねえ」

 女の生き血を吸う遊び人に同情される元ブンヤ。おかしくて泣きそうだ。ハイボールを干し、無愛想なバーテンにバーボンのロックを注文。ついでにサラミも。

「有馬ちゃん、まさか経済ライターに転身したわけじゃないよね」

 アホか。笑い半分で返す。

「おれは一生、地味で冴えないドブネズミ、いや社会部だよ」

 小皿に残った柿の種を掌にすくい、ガリガリ噛み、届いたバーボンで流し込む。

「それしかできねえもん」

 サラミを食う。まずい。厚紙を噛んでいるようだ。胸に苦いものが満ちていく。元社会部記者のプライドにかけて、と啖呵を切り、城のマンションを後にしたのが3日前。以来、興奮剤を打たれた猿みたいに目を血走らせ、取材に駆けずり回った。黒崎宏の正体を探るべく、関係者を根こそぎ当たった。

 総合商社時代の同僚から始まり、V字回復を果たしたスーパーマーケットの元役員、黒崎をスカウトしたアパレルメーカー創業者(故人)の側近、外資系ファストフードチェーンの元監査役─紹介のまた紹介も含め、両手の指にあまる取材をこなした。

 黒崎の新たなパーソナルデータを収集して思い知ったことがある。城に提出した報告書は無能の証明、と。

(続く)