「人間」ではなく「畜生」
自分らしくある必要はない
むしろ「人間らしく」生きる道を
考えてほしい 岡本太郎
今回は岡本太郎さんの名言です。現在、内部も公開されている大阪万国博覧会(1970年)のシンボル「太陽の塔」をデザインしたことで知られる芸術家です。「芸術は爆発だ!」というTVCMのセリフで一世を風靡しました。他にもさまざまな名言を残されています。
以前、本当の「自分」なんてものはなく、自分探しの無意味さに関して述べました。では、「人間らしく」生きるとは一体どういうことでしょうか? 岡本太郎さんの真意はよく分からないのですが、ここでは仏教的に考えてみたいと思います。
『涅槃経(ねはんぎょう)』という経典では、「慚愧(ざんき)無き者には、名づけて人と為さず、名づけて畜生(ちくしょう)と為す」と説かれています。つまり、「慚愧(はじらいの心)が無いものは、人ではなく畜生(けだもの)である」というのです。
傍若無人にふるまい、何の恥じらいも持たない。世の中にはそういうひとがたくさんいます。これを書いている私自身も時々そのような振る舞いをしているのではないかと心配になる時もありますが、そういう人々を『涅槃経』では「人間」ではなく「畜生」と呼んでいるのです。かなり厳しい言葉ですね。
「人間らしく」生きていますか
昔は「慚愧(ざんき)
他人の振る舞いを非難するのではなく、一度、自分自身の振る舞いを検証してみてください。あなたは恥じらいを持って「人間らしく」生きていますか?
2つ目の標語は兵庫県のお寺からです。
「人のせいにしてる間はな~んにも変わらない」
他人のせいにしたところで自分は何も変わりませんし、自分自身に対する恥じらいの心も芽生えません。仏教が対象とするものはあくまで自分です。自分自身の行為をしっかり見つめてみましょう。
恥じらい(慚愧)をもって、「人間らしく」自分を見つめて生きていきたいものです。
「輝け!お寺の掲示板大賞2018」の募集は10月末日をもって締め切りました。多数の応募をいただきありがとうございます。「大賞」ほかの発表は12月初旬を予定しております。それまでの毎週月曜の朝、引き続き「掲示板の深~いお言葉」をお届けして参ります。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)