歴史・文学・哲学など、最近「ビジネスマンが知っておくべき教養」がクローズアップされているが、元・東レ経営研究所社長で、経営幹部や管理職から絶大な支持のある佐々木常夫氏は、「知識だけをいくら集めても、『本当の教養』は身につかない」と断言し、「ビジネスマンにおける教養とは、成果に結びつくものではならない」と提唱する。
人生の教養』(ポプラ社)も上梓した佐々木氏が提唱する、「ビジネスマンが身につけたい本当の教養」とは果たして何か。

「礼儀正しさ」という基礎教養をまず身につけよ

かつて景気のいい時代には、ボーナスをもらうと、その紙幣の詰まった給料袋が机の上に立つか立たないかなどという、あまり趣味のよろしくないゲーム(?)に興じた人もいたようです。

人間も最初はあの袋、それも、中に何も入っていない空っぽの封筒のような存在かもしれません。空の封筒はそれだけでは立てません。中に何かを詰めないと自立できない。では、何を詰めるか。

お金も悪くはないかもしれないが、どうせなら、もっと内的なもの――知識や知恵、常識や見識、道徳や規範、思考力や判断力といった、知性とか人格にかかわる中身を詰めたいものです。人間を一個の存在としてもっとも堅固に自立させるのは、そういう「教養」であるからです。

さて、その最初は未熟な新入社員が仕事の場ですぐに必要とされ、会社から教え込まれもするのは礼儀やマナーでしょう。お辞儀の角度や電話の取り方、接待の席でのふるまいから敬語の使い方まで、社会人として心得ておくべき最低限度の礼儀やマナーです。

そうした初歩的な規範も、人間の中身を形づくってくれる教養の一部であり、とくに近ごろは、あいさつもろくにできなければ、感謝の言葉を口にする習慣も備わっていないといった基本マナーが身についていない人が少なくないようです。

ただ、私がここで強調したいのは、そうした外形的なものより、その根っこにある心のあり方のほうです。

たとえば、人に会ったらあいさつを忘れない、人から何かしてもらったら必ず礼をいう、間違ったことをしたら素直に謝る。時間を守る。嘘はつかない。そんな、きわめて根本的なモラル、人間としての原理原則の大切さです。

どれも小学校の教室に掲げられている「今月の目標」みたいなものですが、その「子どもの道徳」をきちんと実践できている大人は意外なほど少ないのです。

逆にいえば、その原理原則を順守し、礼儀正しくふるまうことができれば、それだけで人に先んじることが可能です。

東レ時代、私は部下によく「礼儀正しさ一つで、この会社の役員になれるよ」といっていたものですが、これはけっして誇張ではありません。

礼儀正しさというのは相手にこちらの誠実さ、真摯さを伝える手段でもあり、その誠実さ、真摯さは自分の内側には徳を、外側には信頼を築くことに通じるからです。信頼ほど組織で仕事をするうえで強力な武器はありません。

礼儀やマナーというのは、仕事以前の地味で平凡な事柄であるだけに、なまじ自分の能力に自信のある人や上昇志向の強い人ほどおろそかにしがちです。だが、才を誇って、徳を見下すのは、賢明のように見えて、じつは愚行というべきです。

私の経験からいっても、不遜なふるまいをして得なことは一つもなく、謙虚にふるまって損なことも何一つありません。

「礼儀正しさにまさる攻撃力はない」
「成功する人の共通点は規律を重んじている」

これは私が四十歳くらいのときに読んで以来、座右の書としている『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(新潮文庫)という本を書いたカナダの実業家であったキングスレイ・ウォードの言葉です。

とくに鋭いともいえない、どちらかといえば平凡なひびきのある言葉ですが、それだけに率直で心のこもった、社会人が備えるべき心得として重みのある言葉だと思えます。

礼儀正しさや規律というのは、ビジネスマンにとって目立たないけれども、きわめて強力な武器となるものなのです。

よい習慣は才能を超える

型はくり返すことで身につくものです。仕事も含めて、あらゆる習い事というのは、最初は単調なくり返しに終始させられるものです。なぜ、くり返しがかくも重要なのかといえば、技術や技能というのは無意識にそれが行える域に達して、はじめて修得したといえるからです。

たとえば、車の運転も一連の動作をいちいち意識してやるのは初心者で、ベテランドライバーになれば、すべてはほとんど無意識のうちに行われます。つまり、くり返すことで身につけた「無意識下の技能」が型となり、さらに習慣となっていくわけです。

その習慣について、哲学者のアランは「考えずに行動するすべ。しかも考えてやるよりも、もっとうまく行動するすべ」といっています。

考えてやるよりも、考えずにやるほうがうまくいくというところがミソで、無意識はしばしば「頭よりも体のほうが賢い」状態をつくってくれる。そして、その状態を可能にしてくれるのが型であり、習慣であるとアランは説いているわけです。

私も現役時代、よい習慣を身につけるべく、あれこれと努めたものです。とりわけ若い時分に心がけていたのは、いつも「一歩先」を行くということでした。

たとえば、早起き。妻が病気に倒れたのを機に、早起きはいまに続く私の習慣として定着しました。現役期の起床時間は早朝五時半。三人の子どもたちに朝食と弁当を用意しなければなりませんでしたから、毎朝が戦場のようでしたが、そのおかげで会社にも出勤時間の一時間前に出社するのが、一歩先を行くための私のルーティン(型)となったのです。

その時間ですと、まだだれも出社してきていないし、外から電話がかかってくることもありません。余計なことで中断させられることなく、自分の仕事に存分に集中することができました。そうして同僚が姿を見せるころには、けっこうな分量の仕事をすでにすませておくことができたのです。

会議などでも、開始時間の十分前には必ず席に着くのを習慣にしていました。そうすればいい席を確保できるし、当日に配布される資料に事前に目を通すこともできる。出席メンバーを確認することで、その会議の方向性や議論の内容などを予測、シミュレーションすることも可能です。自分が何をいうのかあらかじめ考えておけば、効果的なタイミングで、効果的な発言をすることもできます。

また、会議内容のメモも終わってからではなく、会議中に書くようにしていました。完全なものは書けませんが、あらかた書いておけば、自席に戻って少し手を加えるだけで、短時間のうちに報告書が完成できるのです。

上司への報告なども「一歩先」を原則としていました。上司のほうから、「あの件はどうなった?」と催促されるようでは遅い。私はそう考えていました。その時点ですでに、上司は「報告はまだか」と苛立っているからです。

同じように、お客さまとの商談や接待の場、出張の目的地などにもいつも早めに到着するよう心がけていました。いや、心がけるという以上に、その「一歩先の行動」を頭で考えてするのではなく、体にしみついたクセとか習い性のレベルにまで習慣化して、無意識のうちに行える当たりまえの行為として自分に定着させていったのです。

そのことによる一つひとつの効果を定量化することはできませんが、自分でも気づかぬうちに、おそらくかなりのリスクを回避し、また、かなりのメリットを得ていたはずです。

アランのいうとおり、思考や意思による行動よりも、無意識や習慣にもとづく行動のほうが物事をうまく進めるすべとなるのは、けっしてめずらしいことではありません。一つの習慣が自分の仕事の流儀(スタイル)となり、それが大きな成果を生み出すもととなるのはビジネス社会ではよく見られることなのです。

私が「よい習慣は才能を超える」と口癖のようにいうのはそのためです。習慣―それも教養をつちかう大事な一つの型であるといえましょう。

佐々木常夫(ささき・つねお)

株式会社佐々木常夫マネージメント・リサーチ代表取締役
1944年、秋田市生まれ。69年、東京大学経済学部卒業後、東レ株式会社に入社。01年、同期トップ(事務系)で東レの取締役に就任。03年に東レ経営研究所社長になる。内閣府の男女共同参画会議議員、大阪大学客員教授などの公職も歴任。「ワーク・ライフ・バランス」のシンボル的存在である。