面白くない武勇伝を延々と聞かせる、同じ武勇伝を何度も繰り返す……。自分が若い頃、上司の武勇伝をうざったく思ったものの、今になって同じことを部下に繰り返している人もいるのかもしれない。しかし今の時代、武勇伝が行き過ぎて説教となれば、それはもはやパワハラにもなりかねない。武勇伝を聞かされる側のビジネスパーソンたちに、許せる武勇伝の境界線を聞いた。(取材・文/フリーライター 武藤弘樹)
聞き手が興味を持てるか否か
武勇伝の大まかな良し悪し
先輩・上司たる生き物は何かにつけて語りたがる性質を持っている。彼らは後進の育成に努める責務があるから、教育の一環で自らの考えや注意、訓話等を語って聞かせる場面が増えるのは当然のことといえる。
しかし、その語って聞かされる内容に果たして本当に教育的効果が含まれるかについては疑わしいところもある。語り手が、語ることに酔いしれてただひとりで気持ちよくなる場合が多いからである。
語って聞かせられる内容の中でも、語り手の熱がもっとも強く入るのが武勇伝である。
誰からも「すごい!」「ものすごい!」と称賛されてしかるべき……と本人は確信しているので、相応の意気込みを伴って武勇伝は語られる。
また武勇伝は一種の自慢だが、内容が突き抜けているほど聞き応えのあるものとなる。自慢だろうがなんだろうが聞き手は面白ければいいので、然るべき武勇伝はきちんと歓迎されて飲みの席などに華を添える。
一方で「それのどこに自慢する要素が?」と聞き手に思わせるような武勇伝が得意げに披露される場合もある。こちらはだめな武勇伝の典型で、漫画『ドラえもん』に登場するジャイアンのリサイタルを無理やり聞かされるのび太たちの構図となる。