1991年、バブル崩壊、ソ連解体の真の理由は、
火の九紫の「〇〇の力」にあった

 平成最初のショッキングな出来事と言えば、1991年に起きた「バブル崩壊」でしょう。

 1985年、アメリカとのプラザ合意から始まり、1986年~1991年の間、「バブル経済」が続きました。

 日本史上、空前の好景気。企業だけでなく、個人もどんどん銀行から融資を受け、ありとあらゆる土地を買いあさりました。

 その後、金融引き締め政策によって土地の価値が暴落。バブルが崩壊しました。

 では、ここで考えてみましょう。
 なぜ、この年にバブルが崩壊したのでしょうか。
 バブルのはじけるタイミングは何も、この年なくてもよかったはずです。

 実態なき土地価格の沸騰は、以前からシグナルは出ていました。なぜ、崩壊は、この年だったのか?

 その答えは、1991年は、ナインコードで「火の九紫」の年だったからです。

 九紫の一年の特徴、あなたは覚えていますか?
 九紫年の最大の特徴は、『これまで隠れていたことが一気に明るみになる』ことです。

 バブル崩壊は、これまで続いていた、土地さえ買っておけば安泰という「日本の土地神話」を払しょくしました。

 本来の価値に見合わない地価がついた土地。株価の異常な高騰。1990年に国が発動した金融引き締め政策から始まり、1991年の地価税法の施行によって、土地神話は終わったのです。

 これは、九紫年による「全てを明るみにする力」によって、土地神話の実態が見える化したと捉えてよいでしょう(ちなみに、今年も九紫の年ですが、スポーツ界でスキャンダルが多発したり、テレビ関係でやらせ疑惑が発覚したり、カルロス・ゴーンが逮捕されるなど、例年よりずっと、秘め事が明らかになっていますよね)。

 九紫によって照らされたバブル崩壊の元凶。
 そして、光を照らせば影ができるように、「失われた20年」はここから始まりました。

 そして、同年の出来事で、もうひとつの代表的な出来事が「ソ連崩壊」です。
 当時、ゴルバチョフ政権の下で、1922年から続いたソ連は崩壊しました。
 さあ、なぜこの年、ソ連は崩壊したのでしょう。

 崩壊の引き金は、「グラスノスチ」と呼ばれる情報開示とペレストロイカによる政治体制の改革でした。
 グラスノスチによって民衆の自由な思想や発言が活発化しましたが、この“活発化”の裏側には、九紫の年、特有の傾向でもある「人々の気質が前向き(積極的で)、好戦的になる」というパワーが働いたからだと、私は分析しています。

 これまで抑圧されていた反動もあるとは思いますが、九紫の年ならではの「人々の熱い気質」こそが、これまでのソ連の在り方を変えたのだと推測できるのです。

 また、「火の九紫」の年は、『易経』の中にある「離為火(りいか)」の作用も働きます。これは、「これまで存続していたもの、くっついていたものが離れる」という性質を指します。
 この作用も、ソ連崩壊という事象に何かしら影響していることでしょう。