戦艦大和の悲劇も「空気」で強行された

『「空気」の研究』では、戦艦大和が敗戦間際の1945年4月に、沖縄に特攻攻撃をかけたときのことが書かれています。

 世界最強を目指した日本海軍の戦艦大和。全長263メートル、世界最大の46センチ主砲を持ち、最新技術を導入してつくられ、1942年には日本海軍の旗艦となります。

 しかし、虎の子の巨大戦艦はミッドウェー海戦、レイテ海戦などでも効果的な活躍はできず、敗戦が濃厚になった1945年に「大和の水上特攻攻撃」が決定されます。すでに航空機の時代で、戦艦だけでは確実に撃沈されてしまう状態だったのにです。

 山本氏は、戦後の「文藝春秋」のインタビュー記事から「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」(*4)という小沢中将の言葉を紹介しています。

 軍部内で「戦艦大和は沖縄に特攻すべき」という前提があったことがわかります。戦艦大和は、出撃後すぐに米軍に発見され、戦闘機の波状攻撃で撃沈されました。

 また山本氏は、1970年代に話題となった自動車の排気ガス規制の日本版マスキー法にも触れています。

 これは、排気ガス中のNoxを有害と捉えて、環境基準を引き上げて、基準を守れない自動車には新たに課税する法案です。日本版マスキー法は成立の過程で、科学的な見地からNoxの基準値を厳しくする必要があるかが議論されました。

 しかし、当時の科学ではNoxが人体に有害だと証明できなかったのに、自動車は有害のように扱われて、一方的に悪と断定する空気ができ上がっていったのです。

 これもNoxが有害という“前提”を基に議論したのでしょう。前提(空気)に合う要素だけを受け入れて、その他の事実は一切無視したのです。

「空気から逃れられない」とは、どういう意味か

『「空気」の研究』の第1章では、空気に関する描写がいくつか出てきます。この描写にある「空気」を「前提」と置き換えても完全に意味が通じます。

 彼は、何やらわからぬ「前提」に、自らの意志決定を拘束されている(*5)。

 彼を支配しているのは、今までの議論の結果出てきた結論ではなく、その「前提」なるものであって(*6)

 従って、彼が結論を採用する場合も、それは論理的結果としてでなく、「前提」に
適合しているからである(*7)。

「人が空気から逃れられない」とは、「人がある前提から逃れられない」と置き換えることが可能です。空気があるとその前提を基に結論を出すことを強要されるのです。

 つまり「空気(前提)」があると、議論は単なる飾りなのです。「大衆が空気から逃れられない」とは、「大衆をある前提から逃がさない」と置き換えることもできるでしょう。

「空気」=ある種の前提

 この置き換えを見たとき、私たちは呆気にとられるかもしれません。あまりにも、単純すぎるからです。

 一方で、「空気」という言葉から連想される各種の問題は、非常に大きく複雑で、窮屈さや矛盾、時に日本人の集団を致命的な失敗に導くとされています。約300万人の日本人が命を失った太平洋戦争は、大衆が空気に導かれてしまったことで始まったと指摘されるほどです。

 では、なぜこれほど単純な置き換えが可能なのに、巨大で解決不可能な問題が発生してしまうのでしょうか。

(注)
*4 『「空気」の研究』 P.15
*5 『「空気」の研究』 P.14
*6 『「空気」の研究』 P.14~15
*7 『「空気」の研究』 P.15