逆境のときにしか、本当に大切な人は見えない
企業や地域の「有力者」と呼ばれる人ではなく、決して表には出てこないけれど、実際に見えないところで静かに私を支えて投票してくれている人は誰なのか。この経験によって私は、普段の活動やその後の選挙で飛び交う噂やデマに惑わされずに、冷静に物事を見られるようになったのです。
いざ当選すると、今度は逆に対立候補についていたみなさんが「高島市長、すばらしい!」と気持ち悪いほど持ち上げてきます。そういう人ほど裏では逆のことを言っているという話もどんどん耳に入ってきます。当時36歳になったばかりの私にとって、そういう嘘だらけの会合の場に行くのは本当に足が重かったものです。
「友だち」と言っても、大別すると「ただの知人」と「同志」がいます。それまで私はそれらを区別できておらず、すべて「友だち」だと思っていました。
基本的に自分が強いとき、調子がいいときには、まわりにどんどん人が集まってきます。しかし、本当に助けが必要な苦しいときに、ともに闘ってくれる人こそが「同志」と呼べる人です。その「同志を見極める目」が苦しい選挙活動で養われました。これには感謝しています。
あれから8年。今は私と一緒になって、自分でリスクを背負って発言する、実行する、そんな「同志」が全国にどんどん広がってきていると感じています。
多忙な毎日を送る自分にとって、その同志たちと心ゆくまで議論したり、新たなチャレンジへの夢を語り合ったりする時間はとても貴重なものです。そう考えれば、「ただの知人」の数はむしろ少ないほうがいいのかもしれません。限られた時間を使うべきところにしっかり割くことの重要さは私にとって大きな学びとなりました。
私にとっては選挙がきっかけでしたが、逆境や大ピンチに陥ったことがある人も、私と同じ経験をしているのではないでしょうか。自分が強ければ、自分がうまくいっていれば、普段のつき合いがほとんどなくとも、多くの人は応援してくれるでしょう。しかし、自分が苦境に陥ったときに、助けが必要なときに、そばにいてくれるのは誰なのか。
逆境のときにしか、本当に大切な人は見えないのかもしれません。
(次回は、「人生に『きれいな区切り』などない」というお話をお伝えします。12/8公開予定です)