それは「好奇心」です。

これは、「安心」の対義語とさえ言ってもいい、真逆の欲求です。新しいものを見てみたい、使ったことないものを使ってみたい。新たな人と付き合いたい。

これも、ぼくの中学・高校時代を生物部で過ごした生物部魂からくる、すべてはダーウィンの進化論に基づいてサバンナまでさかのぼって人間の思考を動機づけていく「数百万年前の人類は」論法でいくと、おそらく、「好奇心」は、

・新たなエサ場を見つけなければならない
・より多くの子孫を残さなければならない

という、2つの進化論的要請から来ているのではないかと思っています。

前者を持ち合わせたDNAでなければ、獲物がいなくなったとき、つぎの獲物がいる場所へ移動できません。そうしなければ、その種族は絶滅です。また後者は、アミノ酸がなんらかの刺激を受け、リボ核酸が遺伝子情報に基づき自己を複製するようになって以来、生命の基本的なベクトルは「なるべく多くの自己複製」ですから、人類も本能以前のレベルとして、この自己複製欲求があります。

一夫一婦制は、生物学的要請ではなく、その後の人類社会の中での要請です。ですので、当然新たな「出会い」を求め、未知の領域へ踏み出す「好奇心」なきものは、淘汰される運命にありました。

つまり、テレビで言えば、

「あ、なんか見たことあるな」という既視感
「見たことない! おもしろそうだな」と思う新規感

この両方を刺激する必要があるのです。

ここが、テレビに限らず、新企画の難しいところです。この2つの「バランス」が、新企画を作るという場面においての「戦略」ということになります。ですので、「見たことないおもしろいもの」のなかに、何か「安心感」を混ぜ込むことも戦略として必要です。

これは、テレビで言えば、

・番組のコンセプト作り
・決まりのテロップの「色」
・編集のテンポ
・曲のチョイス
・出演者の顔ぶれ
・ナレーターのチョイス
・あるいは、そもそもそれらの有無

などなど、その他、挙げたらきりがないほど多岐にわたって、いちいちそのバランスを考慮し、全体として「既視感」と「新規感」というベクトルのどこにコンテンツを位置づけたいのかを考える必要があるでしょう。

そして、その戦略は常に、その瞬間の市場の動静と、ターゲット層、自分が所属する会社の規模にも左右されます。バランスはさじ加減なのですが、あくまで「なじみ」や「既視感」を意識するという視点は必ず忘れてはいけません。

人は、「これは確か、知っているやつだ。こんな感じだったに違いない」と思ってコンテンツを消費し、「ああやはり、そうだった」と納得したい欲求にかられています。

たとえば、ぼくがやっている『家、ついて行ってイイですか?』という番組は、終電を逃した人に、タクシー代をお支払いするので、「家、ついて行ってイイですか?」と聞く。そして、OKならその場でついていく。ただそれだけの番組ですが、企画自体がそもそも既視感の少ないトリッキーなことをやっています。

ならば、タレントまでまったく知らない人々で番組を作ったら、「?」となる危険性を孕みます。ですから、ちゃんと見たことあるタレントを起用しよう、ということになります。

まずこのバランスが確定したとして、あと少し「既視感」、「新規感」のどちらに寄せるか。やはりテレビ東京という、既視感のあるものとの正々堂々の勝負では、豪華さでどうしても差がついてしまうという経済規模と、すべてのザッピングの最後に「7チャンネル」(テレ東)にボタンが押されるターゲットのニーズから、ぼくは「新規感」よりの選択をしました。

すでにあるコンビの2人ではなく、ビビる大木さんと、おぎやはぎの矢作さんという、それまでには組んだことのない座組にしたのです。

「あ、見たことない座組だな。どんな科学反応が生まれるんだろう」(新規感=好奇心を刺激)とは思いつつ、「なんだかんだテレビでよく見る2人ではあるな、おもしろいのかもな。(……観て)ああ、やっぱりおもしろかった」(既視感=安心感を刺激)。

こういう、矛盾する双方を刺激する心理作用を狙わなければなりません。これが、最後のさじ加減です。もちろん、笑いを作りつつも、人に寄り添うつっこみができる、という狙いを踏まえてブッキングしましたが、2人の組み合わせの「新規感」は大切な要素でした。

このように、「新企画」や、「新番組」が難しいのは、この「既視感」と「新規感」のように、常に人間が「矛盾するニーズ」を抱え持っているからだと思います。

そこに、「より多くの人に観てもらう」=「より多くの人に興味を持ってもらう」という目標をかかげると、もはやこの「矛盾」の落とし所は職人的感覚でしかありません。そうでなければ、マッキンゼーの理論家やボストンコンサルティングの評論家に新規製品を作らせておけばいいのです。

しかし、少なくともテレビ番組で、マッキンゼーやボスコンの天才が作った超おもしろい番組というのは聞きません

他の業界でも、この構造は変わらないはずです。
彼らは分析はできても、新企画は作れない。

その理由は何かと、深く突き詰めると、この、

・「人間の矛盾するニーズ」の存在
・
ニーズの正体が複雑すぎて、ほぼブラックボックスであること

という点からきているのではないでしょうか。

「理論」は、事象を単純化する作業です。しかし、単純化された「理論」を羅針盤に、最後に「矛盾」をどこに漂着させるかという判断は、その業界で日々、クソルーティンワークと向き合っている「職人」の手によるほかないのだと思います。

この「矛盾」、人間が持つ「欲求の矛盾」こそが、クリエイティブという部分でのもっとも重要なテーマになってきます。