そもそも、エンターテインメントにおいて、「受け手」は何かを勉強しにきているのではありません。楽しみにきているのです。この前提を絶対に忘れてはいけません。

でも、楽しみだけなく、そこで「楽しみに来た結果、学べる」「楽しみに来た結果、何か感情を揺さぶられる」。そうなればさらに魅力的である、というだけの話です。

これは、あらゆる他の動画コンテンツや、文字コンテンツにも言える話です。

本書やこの記事はまだ、そもそも何かを「学ぶ」という意識のもと、読んでくださる方が多いとは思いますが、それでもそういった「ストレスになる表現をなるべく放置しない」と強く意識することで、よりストーリーをわかりやすくできるはず。より多くの人に、よりストーリー本来の魅力に集中してもらえるはずです。

よく、「最近のテレビ番組のレベルは低い」と言われます。

一見、そう感じるのはあたりまえです。特に19~21時台の番組に顕著ですが、それは「子ども」や、「中高生」もターゲットにしているからです。

それ以外の時間、たとえば深夜なら「子ども」はターゲットとしないので、少し表現のレベルが上がりますが、それでも90歳の方から中高生までをターゲットにしているのですから、その共通言語は、ごく限られた範囲になります。

でも、あくまでそれは「一見」に過ぎないと言わせてください。

エンターテインメントのこうした姿勢が、「思考力」を育まない、という指摘もよく受けますが、それこそ極めて「表層的な見方である」とあえて言わせてください。

実は、そうではないのです。誰にでもわかるようにしつつ、レベルを高めるさらなる技術があり、それこそコンテンツの「広さ」ではなく、コンテンツの「深さ」で熱狂的なファンを獲得し、「深さ」からくる話題性で、次の段階として「広さ」を目指すという大切な技術です。

それは応用技術になり、少し長い話をしなければならないので、もし興味がある方は、『1秒でつかむ』の第5章を、ご覧になってみてください。