ただ怒るだけでは反省しない
一般的に、子どもが親にウソをつくのは、自分がやりたい目的が親に邪魔されそうだからとか、あるいはしてはいけないことをやってしまったときですね。
たとえば、友だちとゲームをする約束をしたのに、親から「今日はうちで勉強しなさい」と板挟ばさみになってしまったとき、「でも遊びに行かないと友だちにいじめられるもん」とウソをついたり……本当はライターをいじって遊んでいたのに「そんなことしないもん!」と決して認めなかったり。
どのような理由にせよ、ウソが習慣化するのはとても悪いことですから、親としては子どもにウソをつかれたら叱りますよね。私自身も、たとえば大学の学生が、明らかに他人のレポートをそっくり真似して出してきたのに、「僕が一人で考えました」と強情にいい張ると、「そんなウソをついていると、本当にダメな大人になるわよ!」と長々と説教したくなります。
でも、このとき「ウソなんてつくんじゃありません」「ウソつきは泥棒の始まりです」などといったところで、当たり前の正論をなぞっているだけで、ほとんど相手の心には刺さっていないように見えます。
それどころか、人は誰しもそんな正論からは、逃げたくなる心理がありますよね。だから「うるさいなあ……次こそはもっとうまいウソをつかないと」なんていうおもいを、強くしてしまうことさえあるのです。
また、叱り方によっては、親自身が裏切られたという「怒り」をぶつけるだけのものにもなったりします。そうなると、子どもは親が自分のことを本気で理解してくれているわけではないんだと感じて、ちゃんと反省しないかもしれません。
参考記事
仕事の愚痴は子どもの成長に悪影響を及ぼす