興味深いのは、見掛けはホテルに近いにもかかわらず、民泊である点だ。ホテルと異なり、滞在期間中は、別料金を払わなければ清掃が入ることもないし、午後10時以降はフロントが無人となってしまう。深夜に帰れば、玄関の鍵を開けて入らなければならない。
サービスではホテルに比ぶべくもなく劣るが、夜遅くまでお酒を飲みながら部屋で話をしたいという友人同士のグループや、小さい子どもと一緒に寝たいファミリーには、こんな民泊の方がホテルより魅力的に映るかもしれない。実際、稼働率は8割を超えている。この宿泊施設を運営しているのは、不動産管理運営会社だ。
今年6月15日に、住宅宿泊事業法(民泊新法)が施行されたのを機に、「民泊業界ではゲームチェンジが起こりつつある」(原康雄・オックスコンサルティング代表)。これまで民泊の主な担い手だった個人が打撃を受けて市場から締め出され、代わりに“企業”が新たなプレーヤーとして参入し始めたのだ。
民泊新法が施行された背景にあるのは、世界最大の民泊検索・予約サイトのエアビーアンドビー(エアビー)が2014年に日本へ進出して以来、法整備が追い付かないままに民泊市場が急成長してきたことだ。そのため、さまざまな問題が表面化してきた。
民泊の宿泊者が夜遅くまで騒いだり、ごみを決められた曜日以外に出したりすることによる、近隣住民とのトラブルはその一例だ。部屋の鍵の受け渡しを暗証番号のメールだけでやりとりして顔を合わせないことを悪用して、麻薬取引の場所に使われたこともある。
外国人が入れ代わり宿泊することにも、マンションの住民から不安の声が出ている。「マンションの資産価値を引き下げる」として、都内ではマンションの組合で民泊禁止を決めたところが少なくない。
政府が法律を整備したのは、ヤミ民泊を排除し、民泊の安全・安心を担保していこうとしたためだ。
観光庁は営業許可の出ていない民泊物件を仲介サイトに掲載しないように“指導”。
ところが、皮肉にもその法整備が、民泊運営をしていた個人の間で短期的な混乱を起こしている。
エアビーは観光庁からの通知を受け、営業許可を受けていない物件の掲載を取りやめた。さらに、予約済みの民泊も、自動的にキャンセルした。予約を取り消された旅行者は、新たに宿泊所を探さなくてはならず、悲鳴を上げている。
民泊新法施行に伴う一連の動きの中で、エアビーのサイトでは、3月の時点では6万件以上あった物件が、現時点では約1万3800件に激減した。
これまで民泊を行っていた人の間で、撤退者が続出しているのだ。その背景には、民泊新法が定めたさまざまな規制がある。
まず、民泊新法では年間の営業日数が最大180日に規制される。営業日数が減れば、ホストの収入は減少するため、割に合わないと民泊をやめる人が急増している。
次に、民泊新法では、大きく分けて、自宅の余っている部屋を有償で提供し、交流を楽しむホームステイ型(家主滞在型)と、自分が所有している(または借りている)部屋や住宅を宿泊所として使う家主不在型の二つがある。それぞれに規制が設けられている。
規制が厳しいのは、家主の目が行き届かない家主不在型だ。個人でマンションを借りて民泊を行ってきたような人たちが対象だ。
家主不在型の場合は住宅宿泊管理業者に委託しなければならない。これまで民泊を行っていた人からすれば、売り上げが減る上、コストも増えるため、採算が合わない。
しかも、これまで民泊を問題なく運営してきた実績があっても、営業許可は容易ではない。家の図面などの書類提出、書面による近隣住民への説明、消防署による立ち入り検査などが必要になるのだ。
家主滞在型でも、新法ではオーナーが1時間以上不在にしてはいけないといった規制がある。「買い物に行って3時間かかった場合、家主不在型になるのか」など、自治体の民泊担当者には数々の疑問が寄せられている。
3年の実績を持つある民泊運営業者は、「民泊はそもそも宿泊を通じて宿泊者と家主の交流という価値を提供するものなのに、今の規制は個人の民泊運営を排除したいだけではないか」と憤りをあらわにした。実際、全国で新法により民泊として営業を許可されたのは6月8日時点で約1100件にすぎない。
さらに問題を複雑にしているのは、自治体ごとに独自の条例があることだ。例えば、東京都目黒区では、日曜正午から金曜正午まで民泊の営業が禁止されている。
「地域住民に配慮し、厳しい条例を定めるケースが多い上、一度できてしまうとなかなか緩和されない恐れがある」と日本総合研究所の高坂晶子主任研究員は言う。
新法施行を機に企業が本格参入
民泊戦国時代へ
民泊新法施行で民泊市場が縮小しているように見える中、留飲を下げているのはホテルや旅館の関係者だ。
彼らにとって、安全性などのコストを掛けずに低価格で部屋を提供する民泊は、目の上のたんこぶだったからだ。下図のように、大阪府を訪れた外国人は増加していたのに、民泊の影響で客室単価は15年をピークに伸び率が鈍化し、17年に至ってはマイナスとなっていたのだ。