「三方一両損」こそ最高の戦略である

 そして、私はこんな想像をする。
「新渡戸裁定」を生み出したのは、日本人が根っこにもっている「三方一両損」の精神ではないか、と。

 ご存知のとおり、「三方一両損」は、江戸時代に多くの人々に親しまれた講談からつくられた言葉だ。左官である金太郎が三両を拾い、落とし主の大工である吉五郎に届けるが、吉五郎はいったん落とした以上、自分のものではないと受け取らない。

 そこで、裁定に当たった大岡越前が一両を足して四両にしたうえで、二両ずつをふたりに渡した。金太郎も吉五郎も、本来は三両もらえるはずなのに、一両損することになる。そして、本来、関係のない大岡越前も一両損をする。「三人ともに一両損をするのだから、それで手を打たないか」というわけだ。

 ここには、アメリカで言われる「お互いに『損をした』と思うのが、よい交渉である」という考え方に近いものがある。そして、私の経験からすれば、これはほとんど世界中で共通する感覚だと思う。

 交渉当事者が“がっぷり四つ”で戦って、どうしても決着がつかないときに、最後の最後で武器となるのは「三方一両損」の精神なのだ。そして、それが世界で通用する武器であることを、新渡戸稲造は証明したのだと思う。