日本はとくに「妄想」の地位が低い国ではないだろうか。

僕がアメリカやヨーロッパを回り、さまざまな起業家や研究者、デザイナーたちと対話した際、彼らは実現するかわからないアイデア、すなわち、妄想(ビジョン)を、初対面の僕に対しても堂々と語ってくれた。

たしかに、英語のVisionにも「幻、幻影」といったニュアンスはあるし、その派生形であるVisionaryはもともと、「実現不可能な」とか「空想家」といった用例が圧倒的に多かった単語だ。

しかし、少なくとも僕が海外で出会った人たちは、実現可能性が見えない突飛な発想を口にすることを、まったく恥じていないように見えた。

むしろ彼らは、ほかの人にはまだ見えていない世界を見ながら、それを現実の世界に重ね合わせている。リアルとバーチャルを複合させるMR(Mixed Reality:複合現実)グラスを、つねに装着しているようなものだ。

なぜ、日本では地位の低い「妄想」が、世界のエリートと言われる人たちのあいだでは、ここまで高く評価されているのだろうか?

端的に言えば、彼らは「本当に価値あるものは、妄想からしか生まれない」ということを経験的に知っているからである。

だからこそ、彼らはむしろ、あえて現実からかけ離れたことを言おうと、つねに意識してさえいるようだった。

この点を理解するうえで欠かせないのが、MITのダニエル・キム教授が提唱した「創造的緊張(Creative Tension)」という概念だ。

人がなんらかの創造性を発揮する際には、「妄想と現実とのギャップ」を認識することが欠かせない。

世界のエリートたちは、なぜ「妄想」を大切にするのか?

個人が自らの関心に基づくビジョンを明確にして、さらに、そのビジョンと現状とのあいだにある距離(ギャップ)を正面から受け入れたときに初めて、そのギャップを埋めようとするモチベーションが個人のなかに生まれる。

このような緊張状態が生まれない限り、人はクリエイティブなモードにはならないのである。