子育て中の親の悩みが幸せに変わる「29の言葉」を紹介した新刊『子どもが幸せになることば』が、発売直後に連続重版が決まるなど、大きな注目を集めています。
著者であり、4人の子を持つ田中茂樹氏は、20年、5000回以上の面接を通して子育ての悩みに寄り添い続けた医師・臨床心理士。本記事では、「言われなければ何もやらない子」に困らされている親は、どのように子どもに働きかければ良いか、事例とともに紹介します。(構成:編集部/今野良介)
「どう声かけしたら、やるべきことを自発的にできるようになるんですか?」
ある小学6年生の男子の母親が、相談に来られました。
母親によると、その男の子は、言われないと着替えない、食事もしない、宿題もやらない……など、ほとんどすべてに母親が声かけをしているとのことでした。それでようやく子どもは、いやいやとりかかっていると。
私は、本書で詳しく紹介している通り、「小言を言わないで見守る」という基本方針を伝えました。
「それだと私の息子は宿題もしないし、風呂にも入りません。おそらく学校にも行かなくなると思います。もしも子どもがそうなったら、先生はどうにかしてくれるんですか?」
少し怒ったように、そう言いました。
だいぶ思い詰めた感じで、迫力があります。
「うちの子は、先生がこれまで会ってきた子どもと違うと思います。ダラけかたが半端ではないんです。そういう特別ダラけの強い子に、どう声かけしたら、やるべきことを自発的にできるようになるか。そこを教えてほしいんです」
そう言って、ゆずりません。
その母親には、そういう方法を教えてくれるところにいくべきであることと、「もし私のやり方でやってみようという気になったら、また相談に来てください」と話して、その日は帰ってもらいました。
そこから2、3ヵ月経ったころ。
観念されたのか、決心されたのか、母親が再度面接に来られました。ちょうど夏休みが終わって新学期になったころでした。
「これまであなたのやり方でやってきて、状況はよくなっていないのだから、ダメでもともとで1ヵ月だけでも、小言を一切言わない方法に挑戦されたらどうですか? それで効果がなかったら、私のやり方はやめたらいいと思いますよ」
私はそう話しました。そして、やるからには、徹底してやらないと時間がもったいないということを伝え、母親は納得しました。
このときの面接で、いまでもはっきり覚えていることがあります。
これから1ヵ月、いっさい小言を言わないと決心したときに、母親の表情がはっきりと変わったのです。力が抜けたというか、大人の顔から子どもの顔になったというのか。とにかく、ぐっと表情がやわらかくなりました。
彼女は「きちんとした親の役割を果たさないといけない」とずっとがんばっていたのかな、と私は思いました。
その後、数回の面接でその母親が話したことは、およそ次のようなことです。
「新学期が始まってから、小言を控えることを意識しています。まず、子どもが前より穏やかになりました。以前は、ゲームをするときには私から隠れて、見えないところにいたのです。でも、文句を言われないとわかったら、台所で私が料理を作っているそばで、のびのびとゲームをするようになりました」
「『お母さん、なんでいろいろ言わなくなったの?』と子どもから聞かれたので、1ヵ月間お母さんは小言を言わないことにしたんだと、カウンセリングでの取り決めを話しました。子どもが『そのカウンセリングの先生、いい人やなぁ!』とすごくうれしそうに言ったので、親子で笑いました」
「いままで、言われなければまったくやらなかったのに、食卓にランドセルを持ってきて、自分から宿題をやるようになりました。それは夕食後すぐではなく、風呂に入ってテレビを観て、夜10時を過ぎていたりもするのですが。朝も、これまでは何回声をかけてもなかなか起きてこなかったのに、自分で起きてくるようになりました。前は部屋まで行って、なだめたり、脅したりしていました。あれはなんだったんだろうという感じです」
「前と比べて、子どもが、私のそばに寄ってくるようになったんです。友達とのことや、先生が何を言ったとか、学校での出来事を話してくれるようになりました。この子って自分と同じなんやな、話が好きなんやなと気がつきました」
「いままでは自分が助けないとできない子なんだ、と思って見ていたんです。ところが、言ったらダメだと決まったら、違うところが見えてきたんです。自分も小さいころこんな子どもだったなと、いろいろ思い出したり。自分でも信じられない変化ですが、私は息子のことを『なんでも自分でできる子』だと思うようになりました。まだ2週間も経ってないのに」
「そういうつもりで見てみたら、ほんとになんでも自分からやってるんです。提出のプリントも自分で食卓に出してあるし、ハンコを押してとか言ってくる。野球から帰ると、スパイクの泥も自分で落としている。お弁当箱も流しに出してある。ストッキングもユニフォームも、洗濯カゴに出してある」
このような話をしながら、母親はとてもリラックスした表情でした。
最初に来たときとは、別人のような顔です。
「自分は気がついていなかったんです。あの子は、自分の子がそういう子だったらいいなと思うような子でした。なんでも自分からできる、そして親になんでも話してくれる。あの子のいいところを、私は全然わかっていなかったんです。こんなダメダメのお母さんだったのに、あの子はいままでいつも私に『ありがとう』って言ってくれてたんです。洗濯ものや弁当箱を受け渡すたびに。私は小言をいうのに必死で、あら探しに注意が取られていて、あの子が言ってくれてる『ありがとう』を聞いてなかったんです。もったいないことしたなぁ、悪いことしたなぁと思います」
これほど劇的な変化は多くはありません。それでも、このようなケースにしばしば出会います。
この家庭では、親子の間にいろいろな変化が起こったのですが、その中でいちばん大きな変化は、子どもではなく、親の気持ちが変わったこと。親の見ている世界が変わったことです。
そしてもう1つ。この母親は「自分の子どもは本当はしっかりしている」ということに、うすうす気がついていたのではないでしょうか。
わかっていたけれど、子どもがしっかりしていると認めるのは、母親の関わりがいらなくなってきていることを認めてしまうことになる。それがさみしかったのではないかな、と。
親は、いつまでも子どもの世話が焼けると思ってしまうけれど、それは違います。起きてから寝るまで、食べるものも着るものも、すべてを親が知っていて、世話をできる時期なんて、振り返れば、あっという間にすぎ去ります。
中学生になれば、もう彼らの世界の多くは、親から見えなくなります。高校、大学と進めば、ますますそうです。ときどき心に浮かぶ程度になります(それはあくまで、「子別れ」がうまくいった場合ですが)。
子どもの生活が親に全部寄っかかっているような時間は、とても貴重です。だからこそ、「あなたといることは私の幸せだ」というメッセージを、これでもか、これでもかと伝え続けましょう。
幸せになるために、子どもにも親にも、それよりも大事なことなんてないと思います。