16代仁徳(にんとく)天皇の後は、履中(りちゅう)、反正(はんぜい)、允恭(いんぎょう)と3兄弟による継承が行われる。これ以後、兄弟継承が頻繁に行われる。これは、幼少、若年者が皇位を継承すると、政治が円滑に行われない可能性が高いため、即戦力の兄弟の即位が求められたからである。

 26代継体(けいたい)天皇は応神天皇の5世の孫であり、最も皇統から遠い血筋での即位である。

 これに次ぐのが江戸時代の119代光格(こうかく)天皇で、113代東山(ひがしやま)天皇のひ孫である。また、最後に譲位を行った天皇でもある。

皇室の歴史と伝統にのっとった後継指名の知恵

 最初に譲位を行ったのは、女帝である35代皇極(こうぎょく)天皇である。大化の改新に先立つ、中大兄皇子が蘇我入鹿を殺した乙巳(おっし)の変の翌日、譲位を表明した。そして次代の孝徳(こうとく)天皇の崩御を受けて、斉明(さいめい)天皇として再即位する。これを重祚(ちょうそ)といい、これも初のことである。

 この譲位が一般的になるのは、41代持統(じとう)天皇からである。これは、孫の文武(もんむ)天皇への皇位継承を確実に行うためで、次の元明(げんめい)天皇、その次の元正(げんしょう)天皇も同様の理由で譲位している。

 皇太子の制度よりも後継を明確にし、即位した若年の天皇を教育、管理できるシステムが譲位だ。このシステムは、日本社会全体に定着した。いわゆる隠居である。

 譲位は、皇位継承の争いを封じ込めるだけではない。仏教伝来以来、死を汚れとする考え方が強まり、天皇が在位中に崩御することはタブー視されるようになったためでもある。

 60代の皇位継承が生前であり、うち3代は皇位剥奪によるものなので、57代の皇位継承が譲位によって行われている。つまり、譲位は皇室制度の歴史と伝統にのっとったものなのである。

 皇位継承問題を考えるには、外せない天皇がいる。59代宇多(うだ)天皇である。先々代の陽成(ようぜい)天皇が藤原氏と対立して退位し、その後に大叔父に当たる光孝(こうこう)天皇が55歳で即位した。そして、後継問題でもめるのを恐れて自分の子女を全て臣籍降下させた。しかし、結局は自分の子に継がせたくなり、宇多天皇を皇籍復帰させて即位させた。その子の60代醍醐(だいご)天皇は臣籍降下中に生まれたので、唯一、皇族として生まれなかった天皇である。