新約聖書は「意味のパワー」を示している
意味を与えると人は豹変する。これをよく示しているのが新約聖書福音書の物語です。福音書の物語にはさまざまな示唆がありますが、最も重大な示唆の一つとして「意味を与えられた人は豹変する」という点が挙げられます。
ペテロをはじめとしたイエスの12人の弟子たちは、イエスの生前においてはまったく見るべきところのない意気地なしの集団に過ぎません。
弟子の中で一番偉いのは誰かと口論してイエスにたしなめられながら(*3)、実際にイエスが捕縛され、処刑される状況になってみると誰一人としてイエスを助けようとせず、スタコラサッサと逃亡してしまう(*4)。まさに「残念な人たち」の集団です。
ところが、この弟子たちは、イエスの復活・昇天後に、炎のような強さを持った伝道師集団に豹変します。
彼らの働きがなければ、当時、禁教とされていたキリスト教がローマ社会において広がることはなかったでしょうし、もしそうなっていれば今日のこの世界の様相もだいぶ異なったものになっていたでしょう。
要するに、この「情けない弟子たち」の働きによってこそ、キリスト教は世界宗教としての礎を築くことができたわけですが、しかし、実際に布教の成果を見届けた弟子はおらず、ヨハネ以外の11人は皆、槍で貫かれる、逆さ磔にされる、崖から突き落とされる、棍棒でぶん殴られるなど、悲惨な拷問を受けた末に殉教しています。
彼らが拷問を受けた理由は言うまでもなく、禁教とされたキリスト教を棄教せず、信仰し続けたからです。あれほど惰弱で蒙昧だった「情けない弟子たち」が、過酷な拷問を受けながらも信仰を捨てず、福音を伝えることに命をかける「炎の伝道師」へと豹変したのです。
なぜイエスの弟子たちは「豹変」したのでしょうか。それは、自分たちの人生に「意味」を見出したからです。
その意味とはつまり「キリストの福音を世界に述べ伝える」ということです。その「意味」が与えられただけで、彼らの能力や行動は非連続的に変化しました。
このエピソードはそのまま、意味を与えられるリーダーが、いかに他者から大きなエネルギーを引き出すことができるかを示しています。
(注)
*3 マルコによる福音書9章34節あるいはルカによる福音書9章46節。
*4 マタイによる福音書26章56節。