ネットストーキング、メールチェック……広がりつづける依存症

 同じく仕事で高い成果を出していながら、フェイスブック依存症となり、それを友人にひた隠しにしている患者もいたという。

「彼女はひどい振られ方をして、それ以降オンラインで何年も元彼のストーキングをしています。フェイスブックが登場してからというもの、人間関係が終わりを迎えたときに、過去ときっぱり決別するのはとても困難になりました」

 また別の男性患者は、メールを1日数百回もチェックする癖があった。

「休暇中でもリラックスして楽しむことができないのです。意外に思われるでしょうが、そんなふうに休まらない心で生活しているというのに、表面的には何もおかしなところがありません。医療業界で素晴らしいキャリアを手にしている彼が、そんなに苦しんでいるなんて、誰も思いもしないことでしょう」

 同様の見解は他でも耳にした。「ソーシャルメディアの影響は甚大だ。私のところに来る若い患者は、みな脳がソーシャルメディア仕様になっている」と、別の臨床心理士は表現している。

「若い患者とのセッションでは、つねに、ある点を念頭に置いている。友達や恋人と口論したんだけど、という話が始まったら、できるだけ早めに、その口論がどこで起きたか確認すること。テキストメッセージなのか、電話なのか、ソーシャルメディアなのか、それとも顔を合わせてのことなのか。ほとんどの場合、答えはテキストメッセージかソーシャルメディアだ。これが話を聞いている限りではなかなか見えてこない。私が『リアル』とみなすもの、すなわち対面での会話であるかのように、彼らは話すからだ。だから私のほうがいつでも『待てよ』と考える。この患者はコミュニケーションのさまざまなモードを、私と同じ形では区別していないのだ、と。彼らの世界では、誰もが断絶しながら依存している

 本書は、こうした行動の依存症、すなわち「行動嗜癖」の発生と広がりを考察していく。どこで始まり、誰がデザインしているのか。どんな心理学的トリックのせいで、そんなにも魅力的に感じるのか。そして、危険な行動嗜癖を最小限におしとどめつつも、その理屈を有効活用するにはどうしたらいいのか。ゲームアプリのデザインを通じて、できるだけ時間とお金を注ぐよう誘導することが可能なのだとすれば、政治のデザインを通じて、国民に老後のための貯金を促したり、慈善団体への寄付を促したりすることもできるのではないだろうか。