「私は無宗教です」は、世界では非常識な発言

 あらゆるものの土台となる宗教ですが、日本では「宗教の話? いや、私はちょっと」と腰が引けてしまう人が多いのではないでしょうか。

 たとえば、商談やプレゼンなど、ビジネスの“本題”が終わった後、会食やパーティーの席で、あるいはランチなどの雑談の場で、ふと宗教の話題が出たとします。

 「いやあ、私は無宗教でして」

 あなたは何気なく、このように答えていませんか?

 無宗教だと答える日本人は、決して珍しくありません。日本人の多くが「自分は特定の信仰を持たず、無宗教である」と回答しているという統計もあります。

 よって、あなたの会社や取引先が日本人のみ、もしくは日本文化を知り尽くしている人だけなら、この答えはごく自然に受け入れられるし、何も問題にはならないはずです。

 ところが、外国人がいる場でこの発言をしたら、相手はよほどの日本通か無神論者の場合を除き、間違いなく違和感を抱きます。

 驚くことに、あなたがいきなり「私は善悪の区別もできない、非常識な人間なんです」告白したかのように受け取る相手も、世界には少なからずいるのです。

 あるいは、「無宗教ということは、神についてどのように定義しているのか。無神論についてはどうお考えだろう? ニーチェをどう捉えているのか、ぜひ意見を伺いたい」と難解な議論をふっかけられて、答えに詰まる可能性もあるでしょう。

 しかし、、日本人は決して無宗教ではありません。

 なぜなら、多くの日本人が初詣で神社仏閣でお祈りをしているといった事例に加えて、たとえば、「ありがとう」「いただきます」といった誰もが日常的に口にする言葉さえ、仏教など宗教との関係があるからです。

 言葉を変えれば、人がそれぞれ持っている「価値観」をつくる大きな要素が宗教です。その意味で、宗教はすべての人にかかわりがあるものと言えます。相手の価値観がわかることで相互理解が深まり、対立も少なくなることでしょう。