エリートがアントレプレナーに敗れる理由
イノベーションの歴史を振り返ると、この「命令を受けたエリート」VS「好奇心に突き動かされた起業家」という戦いの構図がたびたび現れます。そして、多くの場合、本来であればより人的資源、物的資源、経済的資源に恵まれていたはずの前者が敗れています。
これはなぜなのでしょうか? もちろんさまざまな要因が作用しています。筆者が所属するコーン・フェリーのこれまでの研究から、一つ確実に指摘できると考えられるのは、「モチベーションが違う」ということです。
モチベーションの問題を考えるにあたって、非常に象徴的な示唆を与えてくれるのがアムンセンとスコットによって競われた南極点到達レースです。
20世紀の初頭において、どの国が極点に一番乗りするかは領土拡張を志向する多くの帝国主義国家にとって非常な関心事でした。そのような時代において、ノルウェイの探検家、ロアール・アムンセンは、幼少時より極点への一番乗りを夢見て、人生のすべての活動をその夢の実現のためにプログラムしていました。
たとえば、次のようなエピソードを読めばその徹底ぶりがうかがえるでしょう。自分の周りにいたらほとんど狂人です。
・子どもの頃、極点での寒さに耐えられる体に鍛えようと、寒い冬に部屋の窓を全開にして薄着で寝ていた
・過去の探検の事例分析を行い、船長と探検隊長の不和が最大の失敗要因であると把握。同一人物が船長と隊長を兼ねれば失敗の最大要因を回避できると考え、探検家になる前にわざわざ船長の資格をとった
・犬ゾリ、スキー、キャンプなどの「極地で付帯的に必要になる技術や知識」についても、子どものときから積極的に「実地」での経験をつみ、学習していった
一方、このレースをアムンセンと争うことになるイギリスのロバート・スコットは、軍人エリートの家系に生まれたイギリス海軍の少佐であり、自分もまた軍隊で出世することを夢見ていました。
当然ながらスコットには、アムンセンが抱いていたような極点に対する憧れはありません。彼はいわば、帝国主義にとって最後に残された大陸である南極への尖兵として、軍から命令を受けて南極へ赴いたに過ぎないのです。
したがって、極地での過去の探検隊の経験や、求められる訓練、知識についてもまったくの素人といっていいものでした。
さてこのレースの結果は、皆さんもご存知の通り、「圧倒的大差」でアムンセンの勝利に終わります。
アムンセン隊は、犬ゾリを使って1日に50キロを進むような猛スピードであっという間に極点に到達し、スムーズに帰還しています。当然ながら一人の犠牲者を出すこともなく、隊員の健康状態はすこぶる良好でした。
一方のスコット隊はしかし、主力移動手段として期待して用意した動力ソリ、馬がまったく役に立たず、最終的には犬を乗せた重さ240キロのソリを人が引いて歩く、という意味不明な状況に陥り、ついに食料も燃料も尽きて全滅してしまいます。
一体何がマズかったのか。スコットの敗因についてはさまざまな分析が行われていますが、ここで筆者が取り上げて考察したいと思うのは、「探検そのものの準備と実行の巧拙」ではなく、もっと根源的な「人選の問題」という論点です。
先述した通り、このレースは軍人エリートの家系に生まれ、自らもそうありたいと願うスコットと、幼少時より極地探検への憧れを抱き続け、人生そのものを一流の極地探検家になるためにプログラムしたアムンセンのあいだで争われ、そしてアムンセンの圧倒的な勝利に終わりました。
ここで着目したいのが、この2人を駆り立てていた「モチベーション」です。
同じ「南極点到達」という目標に向かって活動しながら、彼ら2人は大きく異なるモチベーションに駆動されていました。スコットのモチベーションは、おそらく海軍から与えられたミッションを完遂し、高い評価を得て出世するという点にあったでしょう。
一方で、アムンセンのモチベーションは、おそらく南極点に最初に到達し、探検家として名を成したい、というただそれだけのものだったでしょう。
つまり、スコットが「上司から与えられた命令を完遂して評価されたい」という承認欲求に突き動かされていたのに対して、アムンセンは極めて内発的なモチベーションによって突き動かされていた、ということです。
この「上司からの命令で動くエリート」と「内発的動機に駆動されるアマチュア」という構図は、インターネット黎明期の頃から、たびたび見られた戦いの構図であり、多くの場合は「内発的動機に駆動されるアマチュア」に「上司からの命令で動くエリート」が完敗するという結果になっています。