正解を求めすぎた人間が失ったもの
山口:サイエンスという軸とアートという軸。どちらがより価値を生み出すかは、その時代、その世の中が何を求めているのかということで決まってきます。
間違いなく昭和というのは、サイエンスが重要視された時代です。昭和から平成、そして令和に元号が変わって、時代も状況も変化してきている今、世の中で何が価値になるのかを改めて考える時期に来ている。
何が世の中の価値になるか? それを判断する視点は「過剰なものは何か」と「希少なものは何か」です。対比の構造でいうと、過剰なものは叩き売られることになり、希少なもののほうが価値が上がるのは当然です。
では今の日本は何が過剰なのかというと、「正解」とか「ソリューション」です。みなさんも都内を歩いていると、それこそいろんなところで「ソリューション」という文字を目にしたり、耳にしたりするのではないでしょうか。ところが、このソリューションで何を解きたいのかということなのですが、実はそこがはっきりしない人が多い。
歴史を振り返ってみても、常に問題が過剰で、正解が希少という、今とは真逆の時代を人間はずっと生きてきました。
昭和30年代に、「三種の神器」という言葉が流行しました。洗濯機と冷蔵庫とテレビがある暮らしが、豊かさの象徴と言われていた時代です。当時は、家の中で食べ物が保存できないので、腐ってしまうという問題や、寒い冬にも外に洗濯しに行かなくてはいけないといった明確な問題が、世の中にたくさんあった。天然資源のように、問題が世の中から湧いていたわけです。
この問題を解決する時の「正解」が、モノをつくり出すということ。ひたすらにモノをつくって問題を解決するということを続けてきた結果、モノが過剰にあふれるようになっていった。そしてその一方で、「意味」が失われていったわけです。
それは「生きる意味」とか「働く意味」とか、「家族を営む意味」とかといったことです。自殺や虐待の問題が、まさにこれにあてはまります。