「わからなさ」の重要性
他者は気づきの契機である

 自分を変えるきっかけになるのは「わからない」という状況です。この「わからなさ」の重要性を「他者」という概念を軸足にして、生涯にわたって考察し続けたのが、20世紀に活躍した哲学者のエマニュエル・レヴィナスでした。

 レヴィナスのいう「他者」とは、文字通りの「自分以外の人」という意味ではなく「わからない者、理解できない者」という意味です。なぜ、そのような「他者」が重要なのでしょうか。レヴィナスの答えは非常にシンプルです。それは、「他者とは『気づき』の契機である」というものです。

 自分の視点から世界を理解しても、それは「他者」による世界の理解とは異なっている。このとき、他者の見方を「お前は間違っている」と否定することもできます。実際に人類の悲劇の多くは、そのような「自分は正しく、自分の言説を理解しない他者は間違っている」という断定のゆえに引き起こされています。

 このとき、自分と世界の見方を異にする「他者」を、学びや気づきの契機にすることで、私たちは今までの自分とは異なる世界の見方を獲得できる可能性があります。

 インターネットが登場したことで「世界が小さくなった」と、よく言われますね。確かに、それまで往復に数ヵ月かかることもあった外国との郵便文書が、送信ボタンをクリックすれば一瞬で届く電子メールに取って代わられたことを考えれば、確かに物理世界についてはそのように表現できるかもしれません。

 しかし、私たちの心象風景に映写される精神世界は、本当に縮まっているのでしょうか?

 自分と似たような教育を受け、自分と似たような政治的態度をもち、自分と似たような経済的水準にある人たちばかりとつるみ、お互いの意見や行動に対して「いいね!」を乱発し続けるようなオールドタイプの行動様式は、私たちの精神世界を「わかりあえる者たち」だけの閉じたものにし、その外側にいる「わかりあえない者たち」を断絶する、あるいはそもそも「存在しないこと」にしてしまう可能性があります。

 つまり、インターネットが登場したことで、むしろ私たちは「孤立化・分散化」する恐れがある、ということです。

 民主主義は、自分とは違う立場の人がいる、自分とは違う政治的態度の人がいる、ということを認識し、受け入れることで初めて成立します。もし、インターネットの登場によって、自分と同じような人だけでどんどん凝り固まって孤立化していくような社会が生まれることになれば、それは間違いなく民主主義の危機を招くことになります。

 インターネットは民主主義を強固にすると能天気に考えている人が多いようですが、インターネットという新しいテクノロジーが、オールドタイプの行動様式と結び付けば、それはむしろ民主主義の根底を危うくするものです。

 残念ながら、これはすでにアメリカ・ヨーロッパ・日本において顕著に進行している事態ですが、もしこのようなトレンドがこのまま進むことになれば、私たちはインターネット登場以前よりもはるかに「隔絶した世界」を生きることになります。

 しかし、現在の世界はますます価値観が多様化しており、また多くの人が生涯にさまざまな組織やコミュニティと関わって生きていかねばならなくなっています。

 このような時代にあって、自分と価値観のフィットする「わかりあえる者」たちだけでコミュニケーションをループさせ、その外側にいる人々を「わからない」と切り捨てることは、私たちの人生から豊かな「学びの契機」を奪い去ることになります。

 私たちには短兵急に「わかる」ことを求めるのではなく、逆に排他的に「わからない」と切り捨てるわけでもなく、じっくりと他者の声に耳を傾け、共感するというニュータイプの行動様式が求められています。

(本原稿は『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』山口周著、ダイヤモンド社からの抜粋です)

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。
慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン コンサルティング グループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。その他の著書に、『劣化するオッサン社会の処方箋』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)、『知的戦闘力を高める 独学の技法』(ダイヤモンド社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)など。神奈川県葉山町に在住。