「構造主義」の構造とは、「システム」である

「ようするに、この心理実験から読み取れることは、『人間は、自分の意志で考えて行動しているように見えて、実は、周囲の環境や役割や立場によって、無意識にその考えや行動が決定づけられている』ということである。もっとも、この実験はあまりにも展開が劇的すぎて、最近ではヤラセを疑われていたりもするのだがね」

「しかし、まあ、実験の正当性はともかく、感覚的には『ありそう』な話ではないだろうか。実際、なぜ特定の職業が、特定の制服を着て仕事をしているのか。なぜキミたちが、わざわざ特定の制服を着て学校へと通っているのか」

「それは、もちろん、それらの制服の着衣が、当人に『立場の自覚』と『集団への帰属意識』を促すと期待されているからである。つまり―個人としてではなく、集団の中の一員として―医者は医者らしく、学生は学生らしく、囚人は囚人らしくあるためだ。そうした意識の変容が、たかが布の色や形ぐらいで引き起こされているという事実を、我々はもっと重く受け止めるべきだろう」

 なるほど。言われてみればたしかにそうだ。僕だって、自分と同じ制服の生徒がバカにされてるのを見かけたりしたら、きっと必要以上に嫌な気分になるだろう。

 とするならば、やはり僕も、たかが布の色や形ぐらいで考え方を操作されてしまってるということになる。

「このように人間は、自分で思うほど自由に物事を考えているのではなく、周囲の環境や社会的規則―言い換えると『構造』によって、実は『無意識にそのように考えさせられている』のだと言える」

「ちなみに、ここで言う『構造』は、むしろ『システム』と言い換えた方が、キミたちにとってはわかりやすいかもしれない。もちろん、決まった制服を着て学校に通うこともひとつの社会的な『システム』だと言える」

「さて、仮にその言葉で構造主義を表現するなら、それはこういう言い方になるだろう」

『人間がどう考えるかは、その人が生きる社会のシステムによって、無意識に形づくられてしまっている』

次回に続く。