失敗は、その瞬間に止めてしまうから失敗なのだ
今回はキングコングの西野亮廣さんが、近畿大学の卒業式で話された言葉です。みなさんもご存じの通り、西野さんは現在、お笑いの世界だけでなく、絵本などさまざまな分野で幅広く活躍されています。
実はこのスピーチに関する掲示板の投稿が複数ありました。その中の1つ、掲示板大賞に最も多く投稿してくださっている広島の超覚寺さんの掲示板には、より詳しい内容のものが張り出されていました。
挑戦にはネガティブな結果がつきもの。でも大丈夫。その結果は、まもなく過去になり、そして僕らは過去を変えることができる。失敗は、その瞬間に止めてしまうから失敗なのであって、失敗を受け入れて、アップデートして、試行錯誤して、成功まで続けてしまえば、あの日の失敗が必要であったことを知る。つまり、理論上、この世界に失敗なんて存在しないって話。
確かに1つの失敗がのちの成功に結び付くのであれば、それは失敗とはいえません。長く生きていれば、過去の失敗の経験が無駄にならずに現在非常に役に立っている、なんてことが数多くあるのではないでしょうか?
道元禅師が書かれた『正法眼蔵 説心説性の巻』の中に、「今の一当は昔の百不当の力なり、 百不当の一老なり」という言葉があります。曹洞宗大本山總持寺のサイトには、この言葉に関して山口正章老師による分かりやすい説明が掲載されていました。
「百不当」とは、例えて言えば弓で的を射ることです。弓で的を射ようとしても一向に当たりません。百回やって百回とも当たらないのです。しかし、その当たらない矢をあきらめずに何本も放って修練を積むうちに、その修練の力によってやがて当たるようになるのです。その的を打ち抜いた矢、つまり一当は、それまでの「百不当の力」であり、「百不当の一老」、「百不当の蓄積」であります。(中略)努力に比例して成果が上がれば問題は簡単ですが、努力しても成果が上がらない。そこで止めてしまえば「骨折り損のくたびれ儲け」で終わってしまうことになります。 そうではなくて、一見無駄と思えることでも努力を続けていくと、その無駄が全部生きていて、予想外の成果を上げることができるようになるものです。これが「百不当の一老」ということです。
このように、世の中に無駄な失敗などはないと理屈では分かっていても、失敗を重ね続けることは難しい。その大きな要因はどうしても他人の目を気にしてしまうからではないでしょうか。失敗をしたら、他人から笑われるのではないかと周囲を気にしてしまい、挑戦を断念してしまう人が日本には非常に多いような気がします。
アドラー心理学では、「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」とし、他者の問題を切り離して考えるようにすすめます。以前、仏教は「いま、ここ、自分」が大きなテーマと申しましたが、そのポイントに集中することができていれば、失敗を重ねても大きな心の負担にはなりません。
エジソンの名言に、「私は失敗したことがない。ただ1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」というものがあります。このようなポジティブな思考で挑戦し続けることができれば、きっと「一当」にたどりつくのだと思います。
今年も7月1日より「輝け!お寺の掲示板大賞2019」がはじまりました。
全国のお寺の掲示板作品を10月31日までお待ちしております!
なお、当連載をまとめた書籍『お寺の掲示板』が9月26日に発売されます。
お手に取ってご覧いただければ幸いです。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)