何をもって美をジャッジすべきか
小説家
1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。2008年からは、三島由紀夫文学賞選考委員を務めている。美術、音楽にも造詣が深く、幅広いジャンルで批評を執筆。2008年から2017年まで東川写真賞の審査員を務めた。また、2009年から2016年まで日本経済新聞の「アートレビュー」欄を担当した。2014年には、国立西洋美術館のゲスト・キュレーターとして「非日常からの呼び声 平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品」展を開催。同年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。また、2016年には、マルタ・アルゲリッチ×広島交響楽団の「平和の夕べ」コンサートに、アニー・デュトワ氏と朗読者として参加した。
著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)『ある男』を刊行(読売文学賞受賞)、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』等がある。2019年9月より新聞連載『本心』開始(北海道新聞・東京新聞・中日新聞・西日本新聞)。
平野 本能という言葉がある時期からあまり評判がよくないので、先に本能についての新しい話からしてみます。
今、ユヴァル・ノア・ハラリという歴史学者が書いた『サピエンス全史』『ホモデウス』という本が世界中でとんでもないベストセラーになっていて、ヨーロッパのどこの街に行ってもタワーのように積んであります。
その著者が強調していたのが、猿から人間になるまでの間、200万年くらいアフリカのサバンナで、ずっと進化しない時間があったということ。それが7万年くらい前に人類は突然進化して、世界中に散らばっていった。200万年という長いスパンで見るとそれは最近のことなので、私たちの体にはアフリカのサバンナに適応していた身体的な仕組みが色濃く残っていて、それが体の反応として今も現れることがあるのだそうです。
「カッコいい」ものに触れて「しびれる」といった感覚があるのも、脳みそだけではない体のフィードバック機能が関係しているんじゃないかと思います。
水野 最近は、腸が人間の性格にも影響を及ぼしているという話もありますよね。
人間には、肌で何かを感じたり、何かを直感したり、脳だけじゃ説明がつかないことが多い。
平野 19世紀にロマン主義が出てきて、「何をもって美をジャッジすべきか」という時に、画家のドラクロワや詩人のボードレールが、「しびれる」という生理的興奮があるかどうかということを言い出すんですよね。
思わず声を上げる時とか、なんでそうなるのかわからないし、体に備わっている何かとしか言いようがないんですけど、刺激的に作られているものに人間が心地よい興奮を覚えるのは確かで、音楽ならまた聞きたいと思うし、商品なら欲しいと思う。
それを何度も見ていると、興奮が冷めてきたり刺激が弱くなったりして飽きてしまうけど、そこでまた新たな刺激を求められて社会のクリエイティビティーにつながっていったんじゃないかと思います。