縁起こそ、国際社会を生きるルール?

 「縁起」も重要な仏教の考えで、原因があるから結果があるという因果律を表しています。窓ガラスが割れたのは石を投げたからで、石を投げたのはいたずらをした子で、いたずらをした子が存在するのは親がいるからで……と、いろんなものが関係しあって存在しており、原因があるから結果があるという考え方です。

 これはいたずらという悪い行いですが、一般的な行為も同じように解釈できます。たとえば、あなたは毎朝、必ずコーヒーを飲んでいるとします。コーヒーはあなたがコーヒー豆の栽培からかかわって一人でつくり出したものではなく、中南米の生産者から豆がきて、焙煎する人がいて……と、必ずいろいろな人のつながりでできているのです。

 これは「おかげさま」というちょっといい話にもなります。逆にコーヒーがとても安く買えたのは、新興国の子どもがつらい児童労働をしているためだったという可能性もあります。つまり、すべてはつながっているという考え方が「縁起」なのです。

 さらに言えば、コーヒー豆の栽培者がいても大地と太陽や雨がなければ、コーヒーの樹を植え、育てることはできません。こうした「世界は一つにつながっている」という仏教的な概念は、格差の是正はもちろんのこと、グローバル化と資源の枯渇や環境問題の懸念から、国際社会で大切になってくる一方です。

 国連で全加盟国が賛同して設定された二〇三〇年までの目標であるSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)の一つの重要な考え方は、すべてが世界とつながっているのだから、その起点となりうる自分が正しいことをしようというものです。

 CSR(企業の社会的責任)がグローバルスタンダードとなった今日、世界の企業はもちろん日本においても経団連や多くの企業がSDGsについての認識を深め、事業戦略を立てています。こうした意識がないと、世界の投資家や消費者の支持は得られない、そんな時代になっています。

 SDGsはまさしく大乗仏教の「空」や「縁起」と親和性がある考え方です。