量子力学と「空」の関係

 上座部仏教の人は「大乗仏教は空を強調しすぎる」と考えるようですが、最近では「空は量子力学にも関係している」などといわれることすらあります。

 ビジネスパーソンの知的雑談のネタとして恰好の材料ですが、量子力学はとても難しい話なのも事実。ここでは、ごく一般的なさわりの部分を紹介しておきましょう。

 ご存知の方も多いと思いますが、量子とは物質をつくっている一番小さな単位です。「分子>原子>原子核」とどんどん小さくなっていき、さらに電子、陽子、中性子、クォークなどもありますが、分子や原子よりも小さいものを全部まとめて「量子」と呼んでいます。

 物質ではありませんが、光のもとの光子も量子です。

 物質の世界には「物質」と「状態」があります。たとえば、水は水という物質ですが、立ち上る湯気という状態にも変化する。物質の世界では、水が湯気に、海が波になるといった具合に、どういう物質がどういう状態に変化するかははっきりしています。

 ところが量子の世界になると、話はがらりと変わります。そこでは電子も陽子も常に高速で動いていて、常に「状態」です。物質の世界では、一〇〇〇年そこにある岩は「岩という不動の物質」です。

 しかしこの岩を量子の世界で見ると、陽子や電子が動いているただの「状態」であり、「物質」としての岩は存在していません。常に動き、変化しているのですから。しかもその動きにはまったく規則性がないので、捉えようがありません。こうした絶えず変化する動きや状態を解明しようというのが量子力学です。

 大乗仏教の「空」とは、すべてを支える絶対的事実はない。つまり、真実は存在しないことを意味しています。

 量子力学では、「物質の世界で確かに見える岩も量子の世界では存在せず、ただ量子が不規則に動いている状態にすぎない」と考えます。突き詰めると、実態として存在する「もの」は何もないという点において空と量子力学は共通していると言えるのではないでしょうか。

 専門家の間ではこのような安易な関連づけに対して厳しい見方があることは承知していますが、宗教と物理学という異なるアプローチで目に見えない世界を解き明かそうとした時、共通点があるというのは実に興味深いことだと私は感じます。

 大乗仏教の深遠な思想が、実は最先端の科学を見通していたものだとすれば仏教と科学とは本当はもっと近い関係なのかもしれません。