10月18日の定例記者会見では、小池知事は自身がIOCの方針を知らされた詳細を説明した。それによれば、15日に五輪組織委員会の武藤敏郎事務総長が小池知事の下を訪れ、IOCが方針変更を決めた経緯を説明。9~10月にカタールのドーハで開催された世界陸上で、暑さにより多数の選手が棄権したことがIOCの方針転換の引き金になったという。そして、札幌開催の方針は小池氏に知らされる前の週に、組織委会長の森喜朗元首相や橋本聖子五輪担当大臣、そして北海道側の関係者や「特定の都議会議員」(小池知事)にも知らされていた。

 小池知事は18日の会見で、「ホストシティ(の知事が知らされるの)が最後というのは、都民にとってどうなのか」「組織委や国、自治体や商店街まで暑さ対策に走り回ってきた」「選手やチケット当選者はどうなるのか」などとまくし立てた。

 東京での競技を心待ちにしている選手や、予定されていたマラソンコースの周辺住民、チケット当選者が残念な思いをするのは至極当然で、理解できる。ただ、小池知事自身が選手や都民などと同じ立場で怒りを表明することについて、共感を得られるとは考えづらい。

 なぜ自身がIOCの意向を最後に知らされることになったのか。小池知事は過去の言動を今一度冷静に振り返るべきではないか。

「バッハ会長と手紙や電話でやり取り」
親密ぶりをアピールしていたはずが…

 16年、都知事選で大勝した直後の小池知事は、ボート競技の宮城県への移転など五輪会場の計画見直しを唐突にぶち上げた。同年10月には、バッハ会長と“トップ会談”し、多数の報道陣がひしめき合う中、流暢な英語を駆使して丁々発止でやり合う様を国内外に見せつけた。

 その後も記者会見で、「バッハ会長からお手紙をいただき、また私自身も会長と電話でお話をした」などと述べ、個人的な関係を築いているかのように強調。小池知事の見直し案は結局頓挫したが、その後の記者会見で、「(出張中の)パリでバッハ会長とお会いしている」と述べるなど“親密ぶり”を強調してきた。

 緊密に連携を取り合う関係性が本当にできていれば、今回の会場変更という重要な連絡が後回しにされることはないはずだ。

 そしてこの間、小池氏が披露してきた“暑さ対策”は、マラソンコース予定地のアスファルトの遮熱性舗装やミスト噴霧の他、冒頭の「頭にかぶる日傘」や「カチ割り氷」だった。しかし、東京の猛暑を経験している都民にすれば、いくら特殊なトレーニングを積んだ選手だとしても、これらの暑さ対策が有効かどうかは容易に想像がつく。