未熟さに向き合えなくなるという恐怖
出井 『媚びない人生』、読ませていただきました。実は、まるで自分で書いた本じゃないか、と思ったんですよ(笑)。そのくらい共感したし、意見はほとんど同じだと思いました。これは、初めてお会いしたときにも、感じたことでしたけどね。ただ、僕が驚いたのは、僕は74歳で、キムさんは38歳だということです。要するに、僕の2倍くらいのスピードで、生きてきたんじゃないかと思ってしまうんですよ。
タイトルもすごくいいと思う。でも、これは何が主語なの? 権力に媚びない、人に媚びない、自分に媚びない、といろいろ主語があるでしょう。キムさんのイメージは?
キム 僕が伝えたかったのは、自然体で生きる、ということなんです。世の中って、自然体で生きるには、あまりに厳しすぎるところがありますよね。自然体で生きるというと、何もしないで生きるように聞こえがちなんですが、実は自分で決意をして、大変な努力をしないと、この社会ではなかなか自然体では生きていけないわけです。それは、多くの人が気がついている。
では、それでも自然体で生きていくには、何が必要なのかといえば、内面的な強さだと思ったんです。それを身につければ、自然体のありのまま、自分らしく生きていけるんじゃないだろうか、と。自分らしく生きておられる方は、すでにこの生き方をされていますから、出井さんが読まれて、ご自身が書かれたと錯覚されたのは、僕にはよくわかります。
実は本に書かれている内容は、僕自身がそこまで到達しているか、といえば、まだまだ足りないところもあるんです。ただ、目標値としては、今の段階で明確に見えるところを書いておきたかった。出井さんは、到達点のところに来ておられますから、より具体的にシーンが浮かんだのではないかと思うんです。その意味では、僕以上に『媚びない人生』の裏付けや根拠をたくさんお持ちなのだと思います。
出井 人間って、やっぱり媚びている自分にちょっと愛想を尽かすような経験がないと、やっぱりダメなんですよ。それは、自分で記憶がありますね。人は一人で生きているわけではない。会社や上司、社会や会社、そういうものに、いつの間にか媚びてる自分がいて、「あ、嫌だな」という気持ちがあって。じゃあ、これを乗り越えるにはどうするか、と誰でも考えると思うんです。だから、『媚びない人生』はいいタイトルだと思ったんですね。
でも、今から振り返ると、それもいい思い出かな、という部分もある。当時は、けっこう真剣に悩んだ記憶がありますけど。これは、読者の人に伝えておきたいことですね。社会に住んでいるときは、仮面を被って、生きているんですよ。ずっと地で行っていたら疲れてしまう。仮面をかぶり、舞台を演じていていいと思う。ただ、それに自分が気づけているかどうかが、重要なんです。これは、本当の自分ではない、ってね。
キム 僕自身、例えば会議で、打たなくていい相づちを打とうとしたり、本当は共感していないのに同調している自分がいたり、という経験を持っています。だから、自分とちゃんと向き合って、それを直していかないといけない、と思ったんです。背景にあったのは恐怖でした。
媚びている自分に気づくことは、未熟な自分に向き合うことだと思うんです。しかし、それはつらいことでもある。だから、そこから逃げると、だんだんと未熟な自分に向き合わなくなっていくのではないかと思ったんです。それは、ウソの自分を続ける、ということですよね。こうなったら、人生は本当につらくなるだろうな、悲しくなるだろうな、と。
自分で未熟さを発見できるうちは、まだ成長に対する意欲があるときだと思っています。だから若いときは、未熟さを自分で叱ると同時に、自分を褒めるべきだとも思うんです。成長に向かわせてくれるから。そうすることで、過去の自分というものも、愛せるようになるんじゃないかと思うんです。