自分だけの「旗」を立てる
―「会社や組織のブランド」と決別する

 ここは自分の領土だと宣言するということ。

 それは、いつまでも会社や組織のブランドにすがって生きていくのとは根本的に違う生き方になる。

 独立してプロの自営業者になったり、起業したりする方法もあるが、会社や組織に居場所が残る場合でも、会社人間から会社内「個人」へ、組織人から組織内「個人」へ、「個人」として人生に目覚めることを意味する。

 私の場合も、20代では、リクルートという会社の会社人間だったが、30歳で心身症の一種ともいわれる「メニエール病」という病気になったことがきっかけで、「個人」としての目覚めがあった。

 その後に起こる「リクルート事件」では、会社のブランドが剝がされて、「リクルートの藤原です」と自己紹介できなくなり、さらに、ダイエーグループに吸収された時には格好悪くて名刺も出せなかった。

 会社の強力なブランドが剝がれ落ちたから、「リクルートの藤原です」ではなく、「藤原です。通信の自由化の仕事をやってます」と紹介順が逆転した。

 逆に言えば、個人の力が磨かれることになったのだ。

 今では、2003年から取り組んだ東京都杉並区立和田中学校の改革と、2016年から取り組んだ奈良市立一条高等学校での生徒のスマホを授業に生かすチャレンジなどを通じて、教育改革の旗手としての役割を担うことに。

 だから、私の肩書は「教育改革実践家」というオリジナルなタイトルになった。

 名刺は和田中の校長を任期満了をもって辞した2008年から持っていない。サラリーマンになって初めて名刺を持ってから30年経って、ついに名刺を捨てることになった。名刺なしでも通用するからだ。

 リクルートにおける20代での営業のキャリアと、30代でのマネジメントのキャリアに加えて、さらに40代で民間校長としてノンプロフィット組織の意識改革ができることを証明したので、『営業/プレゼン』で100人に1人×『リクルート流マネジメント』で100人に1人×『校長としての学校経営』でも100人に1人と、3つかけあわされたから、100万人に1人の希少性が生まれたことになる。

 「教育評論家」というテレビ番組や新聞紙上で意見を言ったり批判をしたりするだけの立場ではなく、政治家として法律や制度を変えようとする立場でもない。

 現場に下りて行って、人、物、金、情報、時間という経営資源をつなぎ、子どもたちの未来を拓くために意識改革を行う仕事である。

 誰も他に「教育改革実践家」という肩書を使ってはいないから、私の領土として「旗」が立っている。

 言ったもん勝ち、という部分もある。