楠木 それだけお互いの間に信頼ができあがっている。厳しくもあるけれど、それは人間にとって心地良い状況ですよね。強い信頼感に包まれている。
廣瀬 ラグビーをやっていたからこそ分かる絆、みたいなものはあるかもしれません。それが逆に、他の人が入りにくいところでもあった。いい面もあるし悪い面もあるというのが、今までのラグビーだったのかもしれません。
楠木 研究の世界はいかがですか。
豊橋技術科学大学情報・知能工学系教授。福島県生まれ。東北大学大学院工学研究科博士後期課程修了後、NTT基礎研究所、国際電気通信基礎技術研究所 主任研究員、室長、京都大学大学院情報学研究科 客員助教授等を経て、2006年より現職。 まわりの手助けを引きだしながらゴミを拾い集めてしまう〈ゴミ箱ロボット〉、モジモジしながらティッシュを配ろうとする〈アイ・ボーンズ〉など、〈弱いロボット〉と人とのコミュニケーションや関係性を研究。『〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション』(講談社現代新書)、『弱いロボット』(医学書院)、『ロボットの悲しみ』(新曜社)ほか。
岡田 学生たちとの連携って楽しいなと思います。隙間というか、ラグビーでいうとスペースのようなものを用意すると、学生はそこにうまく入り込んで来てくれる。すべてをこちらで用意してしまうと、学生は単に受け入れるだけになってしまって、つまらない発想しか生まれない。いろんな隙間を用意して、そこで相手に入り込んでもらって、一緒になって作り上げていくのがチームとしての研究の醍醐味です。
楠木 本来はそうだと思うんですけども、比較的若い研究者の方にむやみに競争的な方もいらっしゃいませんか?
岡田 論文を書いたときの査読者でいうと、若い人のほうが意外と厳しいんです。僕らみたいに年を取ってくると、ここが貢献しているんだったら、これはいいんじゃないのと加点主義になってくるんですが、若い人の間ではつばぜりあいがあったりする。
楠木 それをもうちょっと一般化すると、エイジングとレジリエンスの関係。若いときのほうが優れていることや、年を取るにしたがって失われていくものがありますが、その反対もあると思うんです。年齢を重ねていくと自然とレジリエントになっていくという面もあるんでしょうか?
岡田 年を重ねると「ここはあの人に任せてみよう」とか、「この人にちょっと活躍してもらおう」みたいな気持ちになってきて、その間にあるニッチなところで、自分の研究が生まれたりします。
楠木 年齢を重ねることで、全体の中での自分が見えてくる。そこで思うんですが、よく「弱点を克服して強みを伸ばせ」っていう人がいる。それは論理的にあり得ないんですね。つまりその人の一番の強みの裏側には、最大の弱みがある。これはコインの両面をどっちから見ているか、と同じことだと思うんです。ですから、弱点を克服しようというのは、自分の最大の強みをゆがめることになりかねない。ところが若いときは、「足りないからここをもっと鍛えなきゃいけない」と思いがちになる。これが段々と柔軟になっていくのがエイジングのいいところですね。
能動と受動の中間にある、中動というレジリエントな関係性
岡田 さきほどの“弱さ”の話なんですが、弱さってデザインしてしまうと、とってもあざとくなるんです。だけど、僕が関心あるのは、能動と受動の中間にある、中動という関係性です。思わず手を差し伸べてしまうとか、思わず助けてしまうというのは、関係性の中からしか生まれないし、そこから“中動的なもの”が出てくる。何かをしてあげる、とか、何かを強いる関係はキツいけれど、思わず助けちゃうというのは、そこで何かが引き出されているということなんです。
ただ、そのあたりをうまくデザインしないと、単なるあざとくて弱いロボットになっちゃいます。だから、弱さをデザインすることにはすごく気をつけているんです。
楠木 中動とは、面白いですね、たとえば相手が確実な弱者である場合、赤ちゃんのヨチヨチ歩きや、転びそうな子どもを思わず助けるっていうのは、自分のほうが圧倒的に強者であるときに出やすい行動だと思うんですけども、対等な関係性の中にも中動な状態というのは、あるものなんでしょうか。
岡田 あると思います。ラグビーで相手にパスするときを能動、受動ととらえてみると、そこに阿吽の呼吸があったとすれば、それが中動なのではないでしょうか。
廣瀬 確かにパスが通らなかったときは、お互いが自分のせいにするところがあります。パスを受けるほうは「ごめん、もうちょっと声を出したらよかった」と言いますし、パス出しするほうは「もうちょっとこうしたらよかった」って言います。それは中動な感じで、お互い、自分にも矢印が向いているし、相手とのディスカッションもある。こういう関係性が中動なのかもしれませんね。