日本との違いは、産業を越えて職種ごとにほぼ賃金が同一であることだ。このため低生産性部門は雇用を維持することができず、余剰人員を解雇せざるを得ない。言い換えれば、この余剰人員を高生産性部門に移動させることによって、産業構造の転換を進めるということである

 レーン・メイドナー・モデルが生まれた背景には、小国が生き残るには、環境変化に応じて産業構造転換を行っていくことが不可欠であるとの的確な状況認識がある。この認識が、積極的に雇用調整を受け入れるという、労働組合の先進性を生み出した。こうして、当時の西側世界で席巻した、“市場原理への介入”によって完全雇用を目指すケインズ主義と距離を置き、“市場原理に順応”して産業構造転換を促し、それが必要とするスキル転換を行うことで完全雇用を目指すという、独自のモデルが構築されていったのである。

「リスボン戦略」で目指した
EU統合後の経済社会モデル

 1992年の欧州連合条約によって発足したEUは、幾たびも繰り返されてきた欧州での戦争の歴史に終止符を打つとともに、ベルリンの壁崩壊以降の米国の世界における勢力の増大や日本のプレゼンス拡大により、埋没しつつある欧州の地位復権を意図したものであった。

 その目指す経済社会モデルは、2000年に欧州委員会が発表した「リスボン戦略」に体系的に示された。それは、向こう10年の政策目標として、①世界で最も競争力があり、ダイナミックな知識経済を実現すること、②良質な雇用を増やし、社会的統合を進める持続的成長を可能とすること、を掲げたものであった。

 つまり、経済面では市場競争を活用する形で、新自由主義的発想を取り入れる一方、欧州が伝統的に重視してきた「社会的公正」を維持し、社会システム面では独自の在り方を追求するものであった。それは正に、北欧モデルが追求してきた、経済面での効率性重視と社会面での再分配機能重視のミックスに通底するといえよう。