「基礎」がなければ、いくら考えてもわからない
勉強とは理解のプロセスを踏んでいくことです。
「理解のプロセスを踏む」ために必要なのは、徹底した基礎の習得とステップ学習です。
たとえば、サッカーの試合中にパスがまわってきたら、「右から攻めるか、左に抜けるか」ということを一瞬で判断しなければなりません。このとき、一種の応用力が求められているのかもしれませんが、その前に、きたボールを上手にトラップする必要があります。
それが無意識にできていてこそ、その先を考える余裕も生まれます。そして、トラップが無意識にできるようになるのは基礎練習の積み重ねがあるからです。
このトラップ技術にたとえられるような、「そもそもそれを知らなければいくら考えても解けない問題を解く力」を、私は「絶対的基礎力」と呼び、最重視しています。「頭を使わずに問題を解く力」「手を使って解く力」と言い換えてもいいでしょう。百ます計算や公文の学習も絶対的基礎力を磨くのにいい方法です。
中学受験においても、あるいは大学受験であっても、現実問題として絶対的基礎力は不可欠。小学生なら、足し算や引き算、九九、漢字の読み書き、社会の暗記問題などを徹底的に反復学習することが非常に重要です。
しかし、こうした絶対的基礎力の重要性は、当たり前すぎて逆に見落とされています。それどころか、「考える力こそ重要だ」という最近の風潮によって否定される傾向にあります。