体細胞を初期化したiPS 細胞
これまでに、体中のすべての細胞に分化できる細胞のことを、何度も述べてきた。このような細胞は、大きく2つのグループに分けられる。万能細胞と多能性細胞だ。
万能細胞は、胎盤(母親と胎児をつなぐ器官)と胎児の両方を作れる細胞のことである。したがって、子宮に入れれば子どもが生まれる。例としては受精卵やクローン胚がある。
一方、多能性細胞は(少なくとも完全な)胎盤を作れないので、子宮に入れても子どもは生まれない。しかし、すべての種類の細胞になることはできる。例としてはES細胞や、これから紹介するiPS細胞(人工多能性幹細胞)がある。
iPS細胞は、2006年に山中伸弥と高橋和利によって作られた幹細胞だ。体細胞にわずか4つの遺伝子を導入することによって、初期化することに成功したのである。
4つの遺伝子の中には、ES細胞の多能性を維持させるために重要な遺伝子も含まれている。iPS細胞は、過去のES細胞やクローンなどの研究の上に作られた幹細胞なのだ。そして、この4つの遺伝子の組み合わせを変えることにより、さらに改良されたiPS細胞も作製されている。
iPS細胞には、これまでの幹細胞にはなかった使いやすさがある。まず、作るときに受精卵を使わないので、倫理的な問題が起きない。また、患者自身の体細胞から作ることができるので、免疫による拒絶反応が少ない。さらに、多能性細胞なので、クローン人間の作製といった倫理的問題も起きないのだ。現在iPS細胞は、再生医療において期待されている細胞である。山中伸弥はiPS細胞を作成したことにより「動物の分化した細胞が多能性幹細胞に初期化できることを発見した」功績で、2012年度のノーベル生理学・医学賞を受賞している。
このように、iPS細胞は夢のような細胞だ。それでは、不老不死の夢を託すことはできるのだろうか。ひょっとしたら体については、古くなった器官を新しい器官に置き換えたりして、不老不死が実現できるかもしれない。でも、問題は脳だ。
古くなった脳を新しい脳に取り換えたら、別の意識に支配された別の人間になってしまう。これでは意味がない。人間が望む不老不死というのは、体の無限の連続性ではなく、意識の無限の連続性だからだ。もしかしたら、脳を部分的に交換していけば、意識は連続したままでいられるのかもしれない。しかし、その辺りは、まだ想像の域を出ない。
とりあえずは目の前にある重要な課題、つまりアルツハイマー病などの病気の治療に期待をかけることにしよう。
(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』からの抜粋です)