クローン羊の誕生

 1996年にイギリスのイアン・ウィルマットによって、クローン羊が作られた。クローンとは、まったく同じDNAを持つものを指す言葉だ。まったく同じDNAを持つ生物はクローンだし、まったく同じDNAを持つ細胞もクローンだし、まったく同じDNA同士もクローンという。

 ウィルマット以前にも両生類などでクローン生物が作られてはいたが、ヒトも含まれる哺乳類でクローンが作られたのは、今回が初めてだった。しかも、クローン羊が作られたことによって、ES細胞の問題点を解決するヒントが得られたのである(ちなみに、ヒトのES細胞が樹立されたのは2年後の1998年だが、マウスのES細胞は1981年に樹立されている)。

 ウィルマットは羊の乳腺細胞と未受精卵からクローン羊を作製した。乳腺細胞は体細胞であり、すでに分化した細胞だ。作製の手順をごく簡単にいえば、まずメス羊の未受精卵から核を除き、その未受精卵に別のメス羊の乳腺細胞の核を移植した。そして、この核移植した未受精卵(クローン胚)をさらに別のメス羊の子宮に入れると、クローン羊(ドリーと名づけられた)が誕生したのである。

 このクローン羊を作るために使った細胞は、体細胞と未受精卵である。先ほど皮膚の表層から脱落する角質細胞のことを述べたが、あの角質細胞も体細胞である。角質細胞が死んで垢となることを、倫理的な問題とする人はいないだろう。体細胞は壊しても、とくに問題はないのである。

 もう一方の未受精卵についても、とくに倫理的な問題はない。ヒトの女性の卵は、卵巣で発達すると、排卵される。つまり卵巣から出て、卵管を通って子宮に移る(ちなみに受精は卵管で起きる。受精後5日ほど経つと、卵管から子宮に入るが、このころの胚が胚盤胞の段階である)。排卵された卵は、精子と受精すれば受精卵となって、ヒトとしての人生が始まる。しかし受精しなければ、1日ぐらいで死んでしまう。そして、月経によって体外に捨てられる。

 このようにクローン羊の作製には受精卵を使わない。だから、人に応用しても倫理的な問題は起きなさそうな気もするが、残念ながらそうではない。受精卵を使わない点はよいけれど、クローン人間も作れることが、もっと大きな倫理的問題だ。したがって、この方法は人には応用できない。できないけれど、とても有益な情報は得ることができた。それは、哺乳類でも体細胞を初期化、つまり分化した細胞を一番最初の未分化な状態(受精卵のような状態)に戻すことができるという情報だ。

 細胞は、最初は未分化な状態で、どんな細胞にでも分化できる能力がある。たとえば受精卵がそうだ。それから、だんだんと分化していって、いろいろな種類の細胞になっていく。一方、いろいろな種類の細胞になっていくにつれて、それ以外の細胞になる能力は失われていく。細胞が分化していくメカニズムの一つは、DNAがメチル化されることだ。

 DNAの一部にメチル基(−CH3と表される)が結合することによって、ある遺伝子を働かなくするのである。あらゆる細胞に分化できるES細胞は、まだ分化していない未分化な細胞だった。一方、ドリーの体細胞は、すでに分化した細胞だ。ところが、クローン羊が生まれたということは、分化した体細胞の核が未分化の状態に戻ったということだ。つまり初期化されたのである。