どんな種類のスキルの習得にも使える「ウルトラ・ラーニング」という勉強法が話題だ。このノウハウを体系化したスコット・H・ヤングは、「入学しないまま、MIT4年分のカリキュラムを1年でマスター」「3ヵ月ごとに外国語を習得」「写実的なデッサンが30日で描けるようになる」などのプロジェクトで知られ、TEDにも複数回登場し、世界の勉強法マニアたちを騒然とさせた。本連載では、このノウハウを初めて書籍化し、ウォール・ストリート・ジャーナル・ベストセラーにもなった話題書『ULTRA LEARNING 超・自習法』の内容から、あらゆるスキルに通用する「究極の学習メソッド」を紹介していく。

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ゴッホには「生まれつきの才能」があったわけではなかった

 もし、フィンセント・ファン・ゴッホの作品を見ることなく、その生涯に関する物語を読んだとしたら、彼が史上最も有名な画家の1人になるとは思わないだろう。

 彼が絵を描き始めたのは遅く、26歳になってからである。

 芸術は早熟が当たり前の世界であり、有名な巨匠はその才能を早くから見せつけることが多い。たとえばパブロ・ピカソのキュビスムは、彼が子どもの頃から絵を写実的に描けたことから生まれたもので、彼は大胆にも「ラファエロのように描くのに4年かかったが、子どものように描くのには一生かかった」と述べている。

 レオナルド・ダ・ヴィンチは10代で画家として弟子入りした。彼が若い頃に、ある農家が持っていた盾に怪物の姿を描いたところ、それがミラノ公に買い上げられたという逸話も残っている。

 サルバドール・ダリは14歳の誕生日前に作品が展示され、彼を有名にすることになる才能を披露していた。それに比べればゴッホは遅咲きで、才能がはっきりと認められていたわけではなかった。

 彼が筆を取ったのは、美術商としても、牧師としても成功できなかった後だったのである。

ULTRA LEARNING』は、「語学」や「試験」だけに使える学習メソッドではない。画力の向上やプレゼン、ゲーム開発、文章力など、あらゆるスキルアップを目指せる「究極の万能メソッド」なのだ

 スタートが遅かったということ以上に問題だったのは、ゴッホは絵を描くのが下手だったという点だ。彼の絵は粗雑で、子どもっぽかったのである。

 パリのアトリエに滞在し、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックのような後期印象派を代表する画家たちの隣で絵を勉強することもあったが、ロートレックはさっと筆を走らせるだけで目の前の光景を絵に描けたのに対して、ゴッホは苦労を重ねなければならなかった。

 彼の仲間の1人は、「私たちは彼の絵をあまりに未熟だと感じていた」と振り返っている。「彼の絵には何ら特別なところはなかったのだ」。

 結局ゴッホは仲間たちとも上手くやっていけず、才能もなくマナーも悪かったため、3ヵ月足らずでアトリエを去ることとなった。

ゴッホの出遅れと明らかな才能の欠如は、彼の気性の激しさによってさらに悪化した。

 彼に関わったほぼすべての人々が、最終的に彼を拒絶している。彼の双極性障害による躁状態と、兄弟のような関係を求める態度によって、ゴッホは出会う人々と激しく争うこととなった。

 晩年には定期的に精神科にかかるようになり、「全般性せん妄を伴う急性躁病」から「一種のてんかん」までさまざまな病気であると診断された。

 ゴッホの感情の爆発(彼はそれを「発作」と呼んだ)は、彼を仲間や指導者、教師になり得た人々から遠ざけてしまった。

 その結果、ゴッホは公的な教育機関に通った経験もあったが、ほとんどの学習は独学だった。伝統的な教育を受けられたのは、彼が人々を追いやってしまうまでの短い期間だけだったのである。

 こうした問題があったにもかかわらず、ゴッホは史上最も有名な画家の1人となった。『星月夜』や『アイリス』、『ひまわり』といった傑作を生み出したのだ。

 8200万ドル以上の値がついた『医師ガシェの肖像』など、ゴッホの作品は4回にわたって、史上最も高値で落札された絵画となった。

 その特徴的な色の渦巻き、絵の具の厚塗り、そして強烈な輪郭は、多くの人々にゴッホの絵を史上最高だと感じさせた。

 この矛盾は、どう説明できるのだろうか?

 明らかな才能もなく逆にハンディキャップばかりでスタートも遅かった人物が、どのようにして個性的なスタイルを持つ、誰もが知る世界で最も偉大なアーティストの1人になれたのだろうか?

 ゴッホを理解するために、ウルトラ・ラーニングの9番目の、そして最後の原則である「実験」に目を向けてみよう。