「鑑賞されること」を想定していない絵

さて、いわゆる「エジプトっぽい絵」ですが、よく観察してみるといろいろとおかしな点があることに気づきませんか?

たとえば、描かれている2人の男性に注目してみましょう。
肩は真正面を向いているのに、顔と下半身は真横を向いています。また、顔は横を向いているのに、目はまるで正面を向いているかのようです。さらに、手前の腕も奥の腕も同じ長さで描かれていて、縮尺が合っていません。

右側の男性はなにかを運んでいますが、両手の指が同じ長さと角度で描かれています。実際にやってみるとわかりますが、かなり無理のあるポーズです。

「大昔のことだから技術も未熟で、この程度の絵しか描けなかったのでは?」

そう思う人もいるでしょう。しかし、これを技術の未熟さだけに理由を求めるのは早計だと思います。

なぜ彼らがこんな描き方をしたのかを考えるためには、そもそもこの絵が「なんのために描かれたのか」を知る必要があるようです。

じつはこの絵は、「人が鑑賞するために描かれたもの」ではありません。どうしてそういい切れるのかというと、この絵は「誰も見ることができない場所」に描かれていたからです。

いったいどこだかわかりますか?

それは、墓の内部です。

遠い昔、古代エジプト時代……王の墓であるギザの大ピラミッドのうち最大のものは、たった1つが総勢36万人もの労働者によって、20年間もかけてつくられたといわれています。

ピラミッドの内部には、「財宝」や「副葬品」とともに、たくさんの「彫像」が納められ、壁一面に「壁画」が描かれました。

しかし、ピラミッドが完成し、王のミイラが運び込まれると、入り口は二度と開かれることがないように、重たい石で完全に塞がれました。

なぜ、よりによって誰も見ることができない場所に、それほどまでに膨大な時間と労力、財力がかけられたというのでしょうか?

その理由は彼らの信仰にあります。

古代エジプト人は、死者の魂が永遠に生き続けると信じていました。ただし、魂が生き続けるためには肉体が必要です。そこで、肉体をミイラにして保存する方法を発展させていきました。さらに、「財宝」や「副葬品」は、王が死後の世界の生活で用いるためのものとして、ピラミッドに運び込まれたのです。