苦しい気持ちが募るのは、面会で得ていた充実感が奪われた悲しみ

施設や病院で離れて暮らす家族に会いに行くと、自分自身も癒されたり、ほっとしたり、楽しい、嬉しい気分を感じるのではないでしょうか。

訪問は、家族自身にとってもかけがえのない時間なのです。

ところが、今回の感染リスクを抑えるためにやむを得ない措置とはいえ、家族としての大切な時間を奪われたことは、私たちが自覚している以上に大きなダメージを与えています。

「会いにいけないことで、認知症が進むのではないか?」「私のことがわからなくなるのでは?」「取り返しのつかないことが起きるのでは?」と、言葉に言い表せないほどの恐れと深い悲しみを抱えていらっしゃる方が多いのです。

ーーーーーーーーーーーーー

「もっと面会に行っておけばよかった」と、罪悪感や後悔の念を抱いている方も少なくありません。

「地元の施設に入居している父のことが気になってはいるけど、仕事が忙しくて1年に一度会いに行くかどうか。去年の年末も、会いに行ったほうがいいと思いながら、結局地元には帰らず東京で過ごしたんです。そうしたら、こんな騒動になってしまって。会いに行けばよかったという後悔が消えず、もし父が入居する施設で感染症が起きたら二度と会えないかもしれない、と自分を責めてしまう」

Eさん(50代・男性会社員)は、東京で妻と息子(大学生)と3人暮らし。10年前に認知症と診断された父親(80代・要介護3)は、実家近くの特別養護老人ホームに入居しています。一人息子であるEさんは、「父親が寂しがっているかもしれない。会いに行かなければ」と思う反面、「長男なのに、何もできていない」と後ろめたい気持ちと「変わってしまった父を見たくない」という思いが湧いてきて、父親のことをなるべく考えないようにしてきたといいます。

「幸いなことに、父が住む地域では集団感染は発生していません。でも、感染して亡くなった方と家族が最期の別れができず、荼毘に付してからしか会えなかったとの報道を聞いて、ショックでした。元気な父に会えないかもしれないし、もしもの時に最期のお別れができないかもしれないと考えると、なぜ年末に会いに行かなかったのかと悔やんでも悔やみきれません」

家族が施設に入居していることに、罪悪感を感じている人は少なくありません。頭では「施設を利用することは悪いことではない」とわかっていながら、「自分がもっと頑張れば、自宅で過ごせるのでは?」「自分が実家に戻れば、家で過ごせるのに……」と、普段は隠れている罪悪感が、今回の騒動で表面化しているのです。