私は「講演を前にして、便意を失くしたいと思うのは自然な心ですね」と、悩んでいるBさんを受け止めました。

 Bさんはあらかじめ“MORITA”の本を読んでこられましたので、便意を失くそうとすると余計便意を強く感じる、という精神交互作用のことは理解されていました。しかし、それが分かってもどうにもならない、という悩みでした。

 そこで「Bさんの目的は、話を聴く人に理解してもらうことですね。講演を聴く人は一定ではありません。舞台の袖にいて経歴紹介が始まったときに、Bさんにとって大切な講演の内容に注意を向けて、この言葉、言い回しを変えたらもっと理解しやすいのでは、などに注意を向けてみたらどうでしょうか」と伝えました。

◎便意を感じても「目的本位」の行動で

 その後のBさんです。「先生の言われるように、舞台の袖にいるときに、講演の内容に注意を向けるようにしました。便意はあったのですがあまり慌てないでいたら自然に治まって、講演もうまくいきました」と語られました。その後も、同じような体験が積み重なり、「便意はなかったり、時にあったりするが、それがあるがままの自分」と自己受容をしながら生活をしています。

 Bさんの場合も、講演を聴く人に理解をしてもらうという目的を自覚した「目的本位」の行動がみられました。

◎医師の持ち味を生かす“MORITA”

 各先生の基本的な“MORITA”の考え方は共通していますが、実際の診療は、各自の持ち味を生かしながら行っています。

 私自身は、これまでお示ししたように

(1)患者さんに悩みの正体を見極めてもらいます。

 それには何とかできる悩みとできない悩みがあり、何ともできない悩みはあるがままに放っておくことの大切さを、生の欲望や精神交互作用などの説明を踏まえて伝えます。

(2)「今の自分のままやっていればよい」ということを自覚してもらいます。

 まず「悩んでいる自分が自然である」と自分自身を受け入れます。それだけでほっとすることがあります。さらに悩みを失くすためには「こうあるべき」といった理想の姿に「自分が変わるべき」という不自然な気持ちがあることを捉えます。理想像にすぐには変われるはずがないのです。

 そこで、現実には「こうあるべき理想の自分ではなく、あるがままの自分のままでよい(それしかない)」という自己受容と、他人の心も「いろいろあってよい」とあるがまま認める他者受容がなされてくると、「他人の前ではこうあるべき」の緊張から解放されて今の自分のままで一歩踏み出せるようになります。

“MORITA”には「あるがまま」という基本概念があります。治療では「症状に対するあるがまま」というように使われますが、実際には自分、さらには他人をもあるがままに受容する、ということを含んだ概念と考えられます。