センスに頼らず議論を積み上げる

 センスやヒラメキに頼るのではなく、議論を積み上げることによって、深い洞察を得るのは論理的思考の醍醐味であるが、積み上げることができるのは「正しい命題」だけである。命題でないものや、誤った命題(偽である命題)を積み上げて得られた結論は論理的に正しいとは言えないのだ。

 以上の定義→公理→(正しい)命題→結論という論理的思考の方法を最初に明言したのは、哲学者のプラトンだったと言われている。ユークリッドは、プラトンの教えの通りに、幾何学を中心とする数学の教科書を書いた。それが『原論』である。

 ただし、ユークリッドは自身が発見した新しい事実をまとめたわけではない。彼の最大の功績は、それまでにピタゴラスとその弟子たちのもとで大きく発展した幾何学等を――プラトン流の論理的思考の方法に則って――明解に体系立てて記述したところにある。

 平成から令和になり、AIや機械学習が世間を席巻している今日では、論理的思考力の重要性は益々高まっていると言えよう。

 しかし、それでも欧米に比べるとまだまだ浸透しているとは言えない。これは、日本人が『原論』を読んでこなかったことと無関係ではないだろうと私は考えている。『原論』は、当時混沌としていた数学の諸定理(定理:正しいことが証明された命題のうちよく使われるもの)が極めてわかりやすくまとめられた名著であるが、現代の私たちからすると、それでも難解に感じると思う。

 ユークリッドは、後世にこれだけ大きな影響を与えた書物の著者でありながら、生まれた年や没した年も含めて、その生涯についてはほとんど何もわかっていない。一説には「ユークリッド」というのは個人の名前ではなく、何人かの編集者集団のペンネームだったのではないか、とも言われている。

(本原稿は『とてつもない数学』からの抜粋です)