暗黙知をAIにいかに反映できるかということですが、人間の脳の研究でも明らかになっていないものですから、まだまだ難しいと思います。同じレシピで料理をつくっても、できあがりはそれぞれ違います。腕のいい料理人にもありえることで、何が違うのか本人に尋ねても、説明できない部分もあるでしょう。
こうした点の解明も、これからの課題ですし、産業にも影響を及ぼすテーマだと思います。
AIが問う
人間の本質
――先ほど、可能性は低くても、鉱脈があると信じて突き進めることが、人間の特徴だとお話しいただきましたが、そのほかに、AIより人間が優位な点はどんなところだとお考えですか。
将棋や囲碁のある局面で最高の評価を下すとか、人間が何十年かけても計算できないものを瞬時にはじき出すとか、何か一つの物事に対するAIの能力は突出しています。一方、人間はある程度運動もできるし、言語も話せるし、練習すれば楽器も弾ける。最高の技術には至りませんが、マルチタスクであり、しかも、それを小さなエネルギーで実行できます。
こうした総合的な能力は現状のAIにはまだ備わっていないもので、人間が優れている点だといえます。
また、AIはサイバー空間にしか存在できません。その空間で完結できる能力はとても優れていますが、リアルの世界は多様で、単純な学習だけでは補えない能力が必要になります。人間はさまざまな環境に適応できる能力や柔軟性、知性や体力を持っています。
あるAIの研究者と話している時に話題になったのですが、その研究者は詩を書けるようなAIをつくることは可能でも、実際につくることはないと言っていました。人間が暮らしのなかで感じたことを詩にするから意味を持つのであって、人の心がわからないAIが詩をつくっても、意味や感動は生まれないからというのがその理由でした。
2016年にAIの書いたショートショートが、星新一賞の1次審査を通過したとニュースになりました。内容や論旨が明確なショートショートなら、AIでもすでに書けるようになっています。だからといってAIが村上春樹さんのような小説を書けるかというと、それはいまのところ無理です。おそらく、どこまで進化しても、人間の心を持つことは、AIにはできないのではないでしょうか。
AIの機械学習で「敵対的生成ネットワーク」という技術があります。たとえば、二つのAIがあって、Aには偽札をつくらせ、もう一方のBには偽札を見破る警察官の役割を担わせます。すると、Aはどこまでもひたすらに精巧な偽札をつくり、Bはそれを見破る技術をどんどん高めていきます。こうして二つのAIは互いに高度な能力を獲得していきますが、はたして高めるべき能力なのかどうかの判断は、倫理観の問題になってきます。
現状のAIに倫理観はありませんが、一方で、人間には絶対的な倫理観があるのかといわれると、答えに詰まるところです。人によっても考え方が違いますし、そもそも倫理自体に形而上学的な側面があるからです。AIの登場によって、人間の本質的な部分への問いかけがもたらされているのではないかと感じますね。